2013年1月30日水曜日

しばらくぶりに


 またブログ更新までの期間が空いてしまいました。
いろいろな事が一段落しましたので、12月中旬から今日までの動きを振り返ってみます。

 12月14日
 事務所作りを行った北上までさかのぼりますが、その事務所の隣の部屋にも手を加え、漬物樽などの保管ができる部屋を4日ほどかけて改装しました。時間がない中での慣れない作業に体の疲れも溜まっていたのですが、運よく関西からのボランティア大工さんと知り合い、助言をいただいたお陰で床張りを1日で終え、棚なども拵え(こしらえ)ることができました。
 その間にも事務所には備品がそろい、事務所らしさが加えられ14日のお昼、僕の帰り際には壁掛け時計が掛かり、それが復興へ向かう時を刻み始めたようにも見えた。全ての片づけを済ませると、応援隊の方がコーヒーを入れてくれ、その内のお一人は僕の出発に合わせてシフォンケーキまで焼いてきてくれた。僕は何かを成し遂げた充実感とありがとうの込められたケーキを同時に味わうと、しみじみと「来れてよかった」と実感した。
 13時。道具を積んだ軽自動車が、高速三陸道を走り山形方面へと向かった。18時ころ川﨑家に着き、夕食時には吉巳さんに写真を見てもらい、部屋の出来栄えを報告した。


漬物樽の保管庫
おふぃす

15日(土曜)
 イタリアから運んだ取っ手が独立学園の講堂に設置されたことを受け、見に行ってみると工事は少し遅れているようで現場の方々が慌ただしく廊下や階段の塗装作業をしていた。ただ、講堂内は出来上がっていたため、1年生はクリスマスに向けたクラス劇の舞台稽古をしていた。
 11月の3人展に出展した内のお一人、坂田さんの木彫の搬入がちょうどこの日行われていて、設置の一部を手伝い昼食を那須さんも含め3人で道の駅まで食べに行った。
 
 午後からは、前もって連絡し時間を空けて頂いた大工さんとの面会のため、車で新潟へ向かった。期待と不安と緊張を抱えた面会でしたが、事実僕はすぐに大工の道に進むことは選ばず、あくまで将来大工を志しているとの思いを伝えた。すると職人さんの返事は直球で、私はかばっていたものを明かされたようで、言い訳の言葉など見つからなかった。 
 その後設計士さんと夕食をし、小国へ到着したのは夜中だった。 

 16日(日曜)
 この日は川﨑信くんと、鶴岡に暮らし始めた僕の兄で(僕は4男)二男のつこちゃんの働くレストランにランチを食べに行った。そのレストランはピザが売りなだけに、ナポリピッザを頼むと、ローマで食べたナポリピッザに負けづ、塩気のきいた生地がおいしかった。
 その後山形回りで僕は蔵王ペンションハイジで下ろしてもらい、アルバイト生活が始まった。

蔵王終盤にはゲレンデへ
ただ、霧が濃くスキーをするには悪条件
雪不足とはいえスノーモンスターは見ごたえあり!
 1月7,8日と休みがあり東京へ行ったほかは、山の上で主にキッチンで働いていました。
ラジオを聴きながら、クリスマスか~大晦日か~正月か~成人式か~とその都度、実感の湧かないまま行事が去っていくことが寂しくも思えましたが、ラジオDJだってこんな日に頑張って働いているんだと思い、また休めている人のほうが少数だろうと考えながら口と手を動かしていました。


晴れ間をみて雪国を一枚撮影。
この中で暮らすなんて、先人たちも含め現代人も恐るべし

 20日にはアルバイトを終え、下山し小国町へ帰ってきました。雪不足だったは蔵王くらいなものだったのか、小国町は去年に続き豪雪。
 先日かんじきを履いて茂松山に登ったものの、降り続く雪の中除雪に向かう気もへたれ、お家にいることが多い今日この頃。(お陰でアイルランドのワーキングホリデー申請書を期間内に申請できたことは幸いである)