2012年6月27日水曜日

畑中心の暮らし



我が家の畑から望むポロシリ岳。
峰の残雪ももう、畑からは白い糸のよう。
菜種の花も終盤を迎え、花びらは落ち
養蜂園から働きに出されたミツバチも箱ごと帰っていった。
旅を終えて家に帰ったが、最近まで気持ちは落ち着かなかった。
旅中の家族では出なかった、何でも口にする遠慮ない僕に出会ったこと、
17日に外山家でイベントがありその準備と反省で慌てたこと、
少年と呼ばれた僕が20日で二十歳になったこと、
これからのこと、




良し悪しをその場限りで言い切り
いつも「結局~」とその場限りにまとめる。
その場限りの評価をする僕は
人の生き方に惑わされ、
人の生き方を比較するせいで、
人と自分の比較から、離れることができない。




5日前まで冬用のダウンを着ていた僕は
ここ3日間の快晴で日焼けをし、首がひりひり痛む。
豆畑の草取りに祖父、母、兄、僕、
家にいれば仕事がある。

一列340mある畝を、柄の長い穂がまを持ち、両脇2本づつ見ていく。
中学生の頃に感じた一列の遠さが、今の僕は、あの時ほど永くは感じない。

2012年6月9日土曜日

おぐにっ記


自転車は順調に進み、夕暮れ前には小国町叶水到着した。
雪国は5月を前にしても、まだ雪景色と汗が凍るような冷たい空気に包まれていた。

叶水大橋からの飯豊山とダム湖
 川崎家の田植えを手伝ってから出発する予定を立てていたが、今年は豪雪だったから田植えも遅れるとのことだった。
 「いつ帰るの?」と何人もの人に聞かれるが田植えがなかなか始まらず、出発の日にちが伸びていった・・・・・・  「田植えが終わったら帰る」は予定とはいわないのかもしれない
田に雪は深く、山にも緑はない
長い ふゆ
ひと足早く、ビニールハウス内に稲の苗が生きていた
ひとまず愛媛の岡田農園での仕事の報告とお礼をしに、支えてくださった今野先生ご夫妻にあいさつに行きました
日本友和会の皆様、ありがとうございました。
GWに突入して宮城へ
宮城川崎でお花見
 仙台で友達と合流し、レンタカーで被災地を3日間見学した。
  被災地に入ると辛く、帰りたいと感じた。僕が石巻を去って半年が立つというのに、現地の変化は大きくなかった。
  この先を見出すことがどれほど困難なことか、やはり行ってみないと分からない。



小国へ戻り田植えが始まるまでは、屋根に上りトタンはりの助手をしたり、テーブルづくりやお菓子作りをした。

力を入れたのは、川崎家に来ている藍ちゃんと叶水の洋介君との釜づくりでした。 
もともと釜があった跡地に竹で枠をつくり紙をはる。
枠の上から、イグルーのようにレンガを積みあげ、土で接着していこと4日
 
考えながら作っていくため、なかなかペースは上がらない
その上から泥を重ねる

田植えも始まり2週間ほど乾燥させ、釜入れ当日
気流も回り煙突から煙が立つ。アーチが崩れる心配もしたが、なんとかもっている

よし 順調 順調!

夜にはピザパーティーで盛り上がる


ピザの写真はないが、焼き立てピザを食べたときの原さん(僕の担任)の笑顔からもそのうまさが伝わってきますね

プレゼント用のアシタカ頭巾を作るも、自分がもののけ姫にはまり、アシタカになりきろうと努力した時もありました。
6月8日に田植えがほぼ終わりましたので、田植え作業で日に焼けた僕は今日(9日)出発します。
どこに出発?結局、自転車を置いて今夜、新潟から北海道へフェリーで帰ります。
自転車旅行は?いいんです、手段は変えても、家に帰る目的は一緒なので。
あす夜には帯広の実家へ                                     つづく

大工になろうと思っています

 更新を楽しみにしてくださり、ありがとうございました。

 
高校時代の先生。今でも日課のジョギングを続けていました。
 自転車旅行あのまま続けていたら・・・・・・・ 
       今頃どこにいたのでしょうか?
 
 4月末、新潟市に住む國分先生に1泊お世話になり、翌日隣町の斑鳩(いかるが)建築さんの建物を設計士の村尾先生にお願いし、見学させていただきました。
 

 

まず初めに向かったのは、斑鳩建築さんの代表的な建物
こまくさ保育園

玄関に入ったとたん木の香る、明かりるい空間が広がっていました。
 
中へ進むとホールがあり園児が遊んでいました。
4本の樹齢100年の根曲がりすぎが存在感を示しています。

その頭上には・・・・

伝統技法「四方転び」で4本の根曲がりすぎが、がっちりと組まれてありました。
設計士の村尾先生からは、斑鳩建築の大工の技と知恵にたいする信頼と誇りが伝わってきました。


その後、「越後に生きる家をつくる会」の会長も務める村尾先生のご自宅へ。
当会は県産材を使った家づくりを推進し、大工と設計者、製剤所、
林業家をつなぐネットワークをつくろうと発足しました。

「100年生きた木は100年生かす」

そうでなければ、
どこかで森が消えていく

まさかりで何千発も殴り、手斧で調整された梁。  素敵すぎる

なんということでしょ~。 
100年生かす構造はうつくしい


お昼過ぎにはてんぷらそばまでごちそうになりました。
村尾先生宅からの帰り道は、先生が近道を先導してくれました。

 
新潟から山形へ抜ける113号線の手前には、高校3年生の時に登った二王子岳を望むことができました。
先生ありがとうございました。

 気合を入れて始めた自転車旅行も、新潟を過ぎ山形県小国町まで到着すると40日ほど腰をおろすことになりました                                   
                                             つづく