2011年12月30日金曜日

アートな一日

29日
 田村家と向井家のミカン捥ぎお手伝いの間の昨日は、アートな休日を過ごした。
 午前中は「地球玉」という羊毛ボールのキットでストラップづくりをした。青色ベースのカラフルな羊毛のポンポンを石鹸水と一緒に手の中でコロコロ転がし玉にして、すすいで乾かす。乾いたら紐を通して完成!これなら咲和も作れるのでみんな大喜びでした。


 

 午後は3人でお絵かきセットを持ってお散歩し、みかんの木や神社のスケッチをして過ごした。

30日
 今日は向井家のはるみオレンジを捥いでいます。

2011年12月27日火曜日

チョッキン!

27日
  晩生みかんの収穫が終わってから日が経ち、昨日から伊予柑捥ぎが始まりました。昨日は岡田家、今日は田村家の伊予柑捥ぎに行きました。

瀬戸内とは言え、やはり冬は寒く、素手で作業するのがやっとです。また山での作業は登り下りを繰り返すと汗が出て、日が隠れると冷えるので、着たり脱いだりといそがしいです。

作業中の田村さんの冗談
「みかんの景気がいいころはハサミが、 チョッキン  チョッキン と鳴らしていたが、今は シャッキンシャッキンに変わっとるんで」  はは、は、は、、、(ぼく苦笑)

2011年12月25日日曜日

サザエさん

25日
ちょうど一週間前にサザエさんを岡田家で見ていると、家族構成やキャストの年齢が気になり始め、食卓の会話が盛り上がった。
そして今朝、再びサザエに興奮した。それは、午前3時の大潮の干潮を狙った、サザエ漁です。普段は海水につかっている磯が、干潮の前後2時間ほどの間だけ歩けるようになり、懐中電灯と収穫袋、貝を引っかきだすための鉄の棒を両手に持ち、岩の下のサザエやアワビなどを採る漁に行ってきました。連れて行ってくれたのは島人の田村さん。
満天の星空と広島の夜景に目もくれず、夢中で足元を照らし、岩場を照らしのぞき込み・・・・・・獲物のために歩くこと3時間。収穫はタコ1ぱい、サザエ十数個、アワビ3枚でした。パチパチパチ)


夜ご飯はサザエ飯とタコ焼きでした。海の幸を直接いただく貴重な体験が、ぼくのクリスマスプレゼントの一つでした。

2011年12月20日火曜日

よ~わからんこと

泉さんが「世の中にはよ~わからんことがよくある」と話し始めました。

1 うまいより早い時代。
みかんが木に実ったまま熟したものがおいしいのに、早い時期に青く捥ぎ取られたみかんのほうが高く売られること。

2 油をつかいたい人々
自分たちが作っているのに、海のはるか向こうの作物を選ぶ人々のこと。

3 質より量
農薬散布のみかん
お金をかけて農薬を買い、みみずを殺し腐らないみかんを安く売りだしてしまう農家。

僕の理解できないことも

戦争を放棄した国民が納めたお金で、1機99億円の戦闘機F35を10年のうちに40機そろえる方針でいること。

僕のちょっとした違和感

今年の漢字「絆」の本来の意味とは、馬や犬などが離れないように繋ぐ綱で、縛りつけ自由を奪うことです。使われすぎると疑いたくなります。ちょっと敏感になりすぎですかね~

2011年12月19日月曜日

インディオと反原発の母



「人間が好き」著長倉洋海 福音館書店発行

‘‘わたしたちは、コンロもテレビも買いません。ものを残して死ねば、子どもたちのあいだで、けんかになってしまうから。”


‘‘森があれば生きていける。子供には森のほかには、財産は残しません。”

















岡田家の本棚にあった写真集に目を通した。


 17日の愛媛新聞の総合の欄に、「反原発闘争 母から娘へ」という題があり、記事を読んでみた。
マグロの一本釣りで名をはせる、本州最北の大間町にある建設途中の大間原発と、その中止を訴え続けた故熊谷あさ子さんの記事です。あさ子さんは原発建設予定地(130ヘクタール)内の畑(1ヘクタール)で野菜や花、イチゴを育て、海岸で海の幸をとって暮らしてきた。一方、大間原発の計画が動き出したのは30年以上も前で、1990年に用地買収が始まり、2000年ごろから準備工事は本格化、今はクレーンが林立するも震災以降、工事がストップしたまま。6千人余りの町民が原発建設の賛成派に変わっていくなか、あさ子さんは

「大間の海は宝の海よ。アワビにマグロにウニに昆布―。ちょうどいい量とってると、永久に食べていける。だから、そんな(大事な)ものを一時金に換えるなんて、ばかげた話。ご先祖様にも、子孫にも申し訳ない。」

と言いきって、破格の買収資金にたった一人応じなかった。
しかし、2006年5月建設予定地内の共有地をめぐる裁判のさなかあさ子さん(68)は急死し、その秋の裁判で敗訴が確定する。
だが、海を越えた函館近郊に住むあさ子さんの長女小笠原厚子さん(57)が母の遺志を継ぎ、昨年7月函館の市民グループとともに電源開発と国を相手取り原子炉設置許可取り消しや、建設工事差し止めを函館地裁に提訴した。
大震災以降町は静かで工事のつち音もやみ、約1700人の作業員も戻ってこない。


2011年12月17日土曜日

休養

16日
むかいさんのミカン捥ぎと出荷のお手伝いをしましたが、夜にかけて体がだるくなり18時には就寝。
僕が愛媛に来てから、ちょうどひと月が経って疲れが出たのでしょう。

17日
朝起きて、はっきりとした症状はなかったものの、まだだるさが残っていたため一日休養をとることにした。ばあばちゃんが僕のお世話をしてくれるので心強いが、こんな時一人はつらいな~と、ばあばちゃんの作ってくれるおかゆを食べながら、一人暮らしの心細さを想像していた。

午後は横になりながら、植村直己の「青春を山に賭けて」を熟読していた。明治大学山岳部だった植村氏が大学卒業後、アルプスの山にあこがれて無一文でアメリカに渡り渡航費を稼ぐためぶどう農園で働くが、移民調査官に捕らわれ、日本送還の危機に立たされる。しかし、ヨーロッパのアルプスへの憧れを必死で主張し、日本送還を逃れスイスに渡る。3年間スイスを拠点にヒマラヤのゴジュンバ・カン、アルプスのモン・ブラン、ケニアのキリマンジャロ、南米アンデス山脈のアコンカグアなどそのほとんどを単独登頂した、貧乏人のすご~いお話。
思いを強く持ち、求めるうちに協力者が見つかり、道が開けてゆく植村氏の経験に僕は自信を与えられた。今日一日横になりながらも夢を広げていた少年でありました。

2011年12月15日木曜日

2人を通して

15日 兄の24歳の誕生日
昨晩、歯にくっつくアメをなめていると銀歯が外れたため、午前中に島で唯一の歯医者さんを利用しました。建物は新しく、清潔感のある歯医者さん、利用者は高齢者ばかりで若い人は少ないと受付のお姉さんが言っていました。保険証を渡して住所が山形県と記されていたので「なんでこんなとこにいるんだい」と珍しがられました。島出身者でも島外の歯医者を利用する人がいる中で、東北からの客に驚いた様子でした。
午後からはちょこまかしたお手伝いをしました。


岡田家の咲和と栞那とのかかわりを通して、自分を見つめる機会を与えられています。4歳の咲和ボー相手に大人げなくむきになったり、いらだったり、付きあってられんと言う時もあれば、無床にかわいくて優しくしたり、笑わせたりすることもあります。僕の気分に振り回されるのも楽ではないでしょう・・・・。
子どもの自己肯定感を大切にしたいと思っていても、素直に褒めなかったり、冷たくしたりする意地悪な自分が出るとき「俺ってこんなことに、こだわってんのか」と気づくことができます。栞那相手に「このくらいしかできないだろう」と決めつけて接したりして、上からモノ言うような態度の自分に気づいたりなどなど。いかに自分の肝っ魂が小さいかを2人から学んでいる毎日であります。

2011年12月14日水曜日

化粧落とし

13日
午前中は3月収穫予定の清見(きよみ)オレンジに、ヒヨドリから実を守るための袋かけをして、午後からイノシシソーセージ作りをした。ミンチにしたイノシシ肉に味付けをし、腸に詰めて一度ゆでてから燻製しました。出来はぼそぼそしたソーセージになりました。 

14日
今日は朝から弘島さんのみかん捥ぎヘルパーに行きました。みかん色に輝く斜面を端のほうから、少しづつ少しづつ収穫し緑色にしていく仕事は、山の化粧落としをするようでした。

2011年12月12日月曜日

12日
今日はよしさんのリハビリの日だったので、竹馬を完成させたり、仕込んでいたイノシシ肉を燻製にしたりしました。燻製にしたベーコンは外で風に当て一晩熟成させ、煙たさを取り除きます。

岡田家にはあきさんのお父さんが浜松から仁平くんに会いに来ました。お父さんは幼稚園の園長さんだけに子どもとのふれあい方が素敵です。

2011年12月11日日曜日

夢の扉

11日
今日は愛媛大学のわじき君とよしだ君と泉さんで、生姜引きをしました。わじき君らが開墾して種まきした生姜はやっと収穫し終わりました。
休憩中、サンタさんに何頼みますか?と質問すると「金と彼女」と即答のわじき君、「寂しくない時間」とよしだ君、いつもバイトや一人で過ごしてきたクリスマスから抜け出したいと望んでいました。

作業中戦争の話になり、岡田家から見える海に、戦艦大和が通っていったときは、島のようだったとか、広島の原爆投下の時は中島にも光が届いたとか。


広報が手薄でしたが18:30~のTBS夢の扉に我が家が映りました。驚くことに亡き父の写真まで全国放送され、父が復活したような気分になれて、とってもうれしかったです。

2011年12月10日土曜日

10日
♪もー いーくつ ねると クリスマス♪
テレビ番組ではクリスマスSPなどが放送されていますが、岡田家の食卓にもクリスマスの話題が上っています。栞那は「サンタさん一輪車持って来れるかな~」と、希望している一輪車が大きくてサンタさんには運べないんではないかと心配。一方、あきさんが心配しているのは、小学2年生の栞那には一輪車は難しく、飽きてしまうんではないかと言うこと。会話は進展し「まづは竹馬から練習してみたら」と言う提案があり、僕が作って栞那にプレゼントすることにした。

竹の生えない土地で育ってきた僕は、竹に対する憧れが小さいときからありましたので、気合が入りました。まづは竹馬の作り方をインターネットで調べ、山から竹を取ってきて、夕方から作り始めること2時間。今日は1本目が完成しました!栞那もとっても感動してくれました。

今日は風が強く吹くなか、防風ネット張りをして、午後はみかん捥ぎ。作業療法という治療法がありますが、わき腹も作業中のほうが調子が良かったです。
 今夜の月食も見ることができています。

2011年12月9日金曜日

またやっちゃった!?

9日
ビニールハウス作りの続きをしていて、力いっぱい鉄パイプをまげた時、 ポキッ と再び治りかけていたわき腹から音がして、作業中断。今回は前より痛くなってしまったので、午後は安静に横になっていました。

夕食後、咲和と栞那と3人で積み木のジェンガで遊びました。懐かしのゲームに人一倍熱くなってしまいました。そんな中、明日が休みの咲和姫は狂ったように騒ぎ、それがおかしくて腹を押さえながら大笑いした夜でした。

2011年12月8日木曜日

立ち止まる

8日
午前中は雨が降っていたので、個人的な荷造りをしてそれぞれみかんなどを配送した。送り先のひとつは石巻のおちゃっこでした。今ごろ、みんなどうしているんだろうか?と想像しながらみかんを箱に詰めていきました。半年過ごした土地のことは遠く離れても気になるもので、僕のことを忘れない内にまた会いに行きたいな~と思っていました。

午後からは晴れ、岡田家の庭のビニールハウス作りをしました。今日は、置き去りになっていた錆びついたパイプの長さを揃え、曲がり具合を合わせてから、地面に挿すところまでできました。
明日はよしさんがリハビリに行く日なので、僕はこの続きをします。


良かれと思ってやったことが、良くない結果となってしまう経験をしたことがありますか?僕はよくあります。また、そのときは本気で反省しても、忘れたころに繰り返してしまいます。その忘れるころの心境は、気分が良く周りが視えず夢中になっているものです。そしてずっこけてしまいます。
今日がその日でした。
地に足をつけて、立ち止まり、振り返る。それぐらいの心のゆとりを持つことができなきゃ、少年からは卒業できませんね。

2011年12月7日水曜日

ベーコンに挑戦

7日 晴れ 
今日は朝からむかいさんのみかん捥ぎヘルパーでした。みかんは早生(わせ)中生(なかて)晩生(おくて)という順に、時期をずらして収穫しますが最近捥いでいるのは晩生でした。しかし今日収穫したのは石地(いしじ)という違う種類のみかんで、糖度が晩生の12~13度に比べ石地は15度もありました。好みはそれぞれですがとっても気に入ったので、明日はその石地を石巻や家族含め各地に配送しま~す。

今晩、昨日解体したイノシシのばら肉をベーコン用にバジル・塩・こしょう・ワイン・玉ねぎ・ニンニク・生姜・みりんを合わせた汁に漬け込みました。5日間冷蔵庫でねかし、その後1日外で干して燻製し、また一日外で熟成させて完成!という工程で進めていきます。初めてのベーコン作りに興奮しています。

2011年12月6日火曜日

やっちゃった!?

6日
朝、目をさまし身体を捻らせ、姿勢をおこしたとき  ポキッ  と、ろっ骨から音がした。その時、あることを思い出した。
  先日2日のむかいさんの畑で、僕は1m50cmくらいの三脚の上でみかんの収穫を行っていましたが、バランスを崩し横向きに落下。腹を打った衝撃で呼吸が苦しくなりましたが、すぐ呼吸は落ち着き、けがが無いのを確認すると、また作業を再開しました。僕にとっては忘れてしまうような事故でしかなかったのですが、ポキッという音は確かにその時打ちつけた左ろっ骨の一番下の場所から聞こえたのです。

今日は、よしさんと畑里のみかん畑におにぎりを持っていき、みかんの収穫をし終えた3時ころ、100kg級のイノシシが罠にかかったとの連絡を受け、まだ温かいイノシシの解体作業に加わり、日が暮れる5時頃レモンの収穫をしました。

1日を過ごしてみて、朝の ポキッ の正体は軽いひびだと決めました。作業中は左腕を高く伸ばしたときだけ痛む程度で、あまり支障はありませんでした。
今回身をもってけがをしてみて、初めてよしさんの”戻ることのない右手の指がもつ障害の大きさ”について考えました。指がなくても平気な顔して働くよしさんが、今日の僕には辛く映りました。

2011年12月5日月曜日

田村さんヘルパー

 5日 晴れ!!
今日は中島の最も北に位置する集落である畑里(はたり)の田村さんのみかん捥ぎヘルパーに行ってきました。そこは傾斜のきつい畑であり、モノラックで登るのも怖いくらいでしたが、ぐんぐん登ると瀬戸内の穏やかな海を見下ろすことができ気分が良かったです。

昼食はカレーをごちそうになり、畑ではみかんもごちそうになり、また今月クリスマスの超早朝の潮の引く時間を狙ったサザエ漁にも同行させていただく約束まで持って帰ってきました。

田村さんは2兆5反の畑をご夫婦で手入れしていて、2人のお子さんを大学に通わせながら有機農業を営んでいます。限られた労力を振り絞り、経費を引いた残りの厳しい収入の中での子育てを「本当にきついが本人の行きたいところに行かせてやりたいから働くしかない」 「しかし売り先や収量は安定しない」と現状を語っていました。


夜はついついプロフェッショナルを見てしまい遅くなってしまいました。

2011年12月4日日曜日

4日あきさんのお誕生日でした!
今日は泉さんの生姜堀を愛媛大農学部3名と泉さんの親戚などと一緒に行いました。覚悟はしていたが一日中生姜堀を行うのは腰にきました。終盤は ひとつ  ひとつ  休み  またひとつ といったゆっくりペースで抜いていきました。

今夜も夕食を泉邸で頂き、岡田家に帰ると元気のいい二人にたかいたかいをねだられ、またも腰を使い、今夜はよく寝れそうです。

はっ!今日はTBSの夢の扉(18:30)のワンシーンに我が家が出演する日やった!と20:00ころ思いだしましたが、どうやら番組が来週に延期されたらしく一安心です。フー
来週、日曜日TBS『夢の扉』18:30~お見逃しなく!兄出演します!??

2011年12月3日土曜日

3日
午前中は雨のためミヒャエル・エンデ著のモモを読んでいました。もともと読書になれていない僕も、中島に来てから本を読む時間をとるようにしています。モモはまだ途中ですが「時間」をテーマにしたお話でとっても面白いです。

午後からは雨が上がったので泉さんの生姜堀りヘルパーに行き、夕食までごちそうになりました。

半日生姜を引き抜くだけでも、結構腰にくるものですが、明日も朝から生姜掘りなので休み休みしようと思います。

2011年12月2日金曜日

むかいさんヘルパー2

 2日
今日もむかいさんのみかんの収穫に行きました。午前の天気は風だけでもってくれましたが、昼から雨が降り出しみかん捥ぎは中止になりました。
岡田家にはあきさんのお母さんが来て栞那と咲和が大興奮の夜でした。

みかん捥ぎの方法
使うのは手にすっぽり入るほどの鋏で、みかんのへその根元から切り落として収穫します。
 普段は右手に鋏、左手でみかんせいぜい2個を持ち、肩にぶら下げた袋に入れていきます。
高い木の収穫は木に登って手を伸ばした体勢になりながら行います。小さい子と遊んでいると必ず「ゴリラ!」と呼ばれ、木登りに自信のある僕が枝に絡まりながらいると、むかいさんのお母さん(65)が「そこは私がやってあげるから、下のほう採りなさい」と言い、断然上手に木登りをしていました。
この2日間、むかいさんのお父さん(72)とお母さんの3人で収穫したみかんです。

2011年12月1日木曜日

むかいさんヘルパー

12月1日
 昨夜強い雨が降っていたが、朝にかけて強い風が吹いたおかげで山は乾き、今日はむかいさんのみかん捥(も)ぎヘルパーをしている。
 昼前の収穫が終わり29ケースのコンテナを車に積み、さぁ帰ろうとしたとき、向井さんが「さぁ祈りますよ」と。収穫に感謝して祈るなんてなんと素敵な人だと感心して、しみじみ「祈るんですか~」というと、「っえ!!」とむかいさん。
 本当は「いぬりますよ」和訳:帰りますよ。と言っていたのですが聞き間違えて祈りますになってしまいました(笑)