2012年9月29日土曜日

彼岸花

彼岸花

 秋、お彼岸のころ咲くから彼岸花(別称マンジュシャゲ)。ここローマの庭に咲いたのは、早めの9月9日。9月も末になり時おり肌寒く感じることが増えてきた。加藤家の冬支度としては、暖炉のための薪がトラックで届き、朝から庭師のフランコさんを中心に薪積みをした。木の葉が枯れ始め、胡桃も降ってきた。ローマの秋は雨が多くなるそうだが・・・・
 11月の山形での展覧会に合わせた企画、準備も着実に前進しているが帰国まで、あとひと月。時間はあるようで、短い。その展覧会というのは、独立学園卒業生で3名の彫刻家が、高校生活の中でアートに触れてほしいとの願いから、生まれた企画。そして12月に建設が完了する母校の講堂にそれぞれの作品が溶け込むように設置されるのだが、その前にそのような試みを公開し、多くの方にご覧になっていただくのが、今回の趣旨であります。
 

 
 
 チロルの生活
 
いつも朝食はパン食で、ローマから持参した杏ジャムやドロミテ産の蜂蜜をつけて食べる。僕とオーマは山から引いた水を流水にして冷やしたヨーグルトもセットで!どうです、贅沢でしょ



ロッジで食べたチロルのお菓子のシュトゥルーデル。中身は煮りんごで、カスタードが添えてある。
この日の昼食はパスタ。
薪ストーブで調理が出来て、オーブンも付いてる優れもの。「いいもの見つけちゃった」と得した気持ちにさせてくれる。

 タメルスから車で下っていくと、中心地のサンビジリオという小さな町があり、さらに下ると町の入口でオーマが普段生活しているロンジェーガがある。この時期は草かりの真最中だったのでオーマの家族がそれぞれの仕事の合間に、干草寄せに参加していた。傾斜の牧草地を登り上から順々に草を引きおろしていく。道具は幅1mほどの木製のレーキを使うのだけど、オーマの孫にあたるマルコは自走式の草寄せ機を急な傾斜で使いこなしていた。そういえば裸足で・・・・・・ワイル過ぎる。言葉は分からなくともこういった作業なら出来るので、僕も1時間ほど参加すると、マルコのお父さんのフィリッポがワインとスピック(生ハムの燻製)、チーズをご馳走してくれた。スペックはフィリッポ自ら加工したもので、周囲の方からの評判もいいらしい。
手前からフィリッポ、マリーア、マルコ
裏山から持ち帰った木を、手すりにするとオーマは「べニッスィモ!!」と
最大級で僕を優しくほめてくれた。


2012年9月28日金曜日

青年の活躍  投稿者 加藤朝美


青年活躍
来年の麓のサン・ヴィジリオで行われるぼくの展覧会の企画で、ぼくとしのぶは打ち合わせに追われる毎日で、おばあさんと1日中居られる時間が少なかった。けど、外山君が山小屋に居てくれる時間が多かったので大助かり。彼は裏山探検やインスタレーション制作、更に大工仕事でチロル風(?)隠れ物干しや、階段登りの手摺を作っておばあさんから大好評。ここは太陽パネルの照明はあるけど、冷蔵庫やコンセントを使う電気がないので、すべての大工仕事は手作業で。
バルコニーに設置された物干し台。
景観を損なわないよう、低い位置にセットし塗装してある。
横棒は取り外せて、支えはたためる。
 

大工魂
 
予定通りTシャツの裾は着かず、公の目線にも付かない。

 ここは自然公園の中にあり、ナポリのように大っぴらに洗濯物を国旗のようには干せない。山小屋から煮染めた山男の下着が並べて干してあってはいけないのだろう。それで表向き隠れてないといけないのと、陽の良く当たるバルコニーは多目的だから使用していない時は折りたためなくてはいけない。また秋から春にかけて小屋を閉めているから、その間も雪にも耐える。それが寒さを知る十勝人・外山が出した答えがこの物干し。
スタンベック・カムバック
 
 その外山君のインスタレーション制作授業も11で行われた。これからのローマの制作手伝いでも、感覚の部分がぼくと一致して進める仕事が多いので、日本文部省の優等生美術(?)で来るとチグハグになってしまう。朝食の後に行われた授業がこの写真。
青年にとって初めてのインスタレーションがイメージできない彼に。
例えば食卓の上の物を・・・・・・・・・このように

 それから小屋の窓から見えるアングルで、そこにある白い石や枝や松ぼっくりを利用してアート。タイトルは「スタンベック・カムバック」。この山も気温が高くなったのかスタンベックの数が激減してしまった。
 
「スタンベックが、もう一度この地に帰りますように」と言う願いをモチーフにし、山小屋に残り制作。
窓と言う限られたスぺースを額とし、部屋からの目線を意識して作成した。
 

2012年9月26日水曜日

タメルスの生活

投稿者 加藤朝美
山小屋の生活
エンマおばあさんと作品

・いよいよチロルの95歳のおばあさんとの生活に外山くんが加わります。

待ち合わせのフォダーラ・ロッジが1980mで、この山小屋は標高1400mだからそれほど高くないけど、この8月に毎朝ストーブを焚いて食事を準備し、晴れた昼は半袖で過ごして、夜はまたキッチンストーブを焚いて夕食を食べ、羽毛の布団で眠る。その夜中にはこの小屋の周りを50頭近くの大鹿が音も立てずに森から移動して音もなく草を食べ、早朝には何もなかったように静かな草原に戻る。5人いたら騒々しいイタリア人と比べると、大鹿の共存の姿勢に感心。

 なぜここに
左下の家がエンマおばあさんの山小屋
・エンマおばあさんは昔から夏場は麓の町から小さな5人の子供を連れて自然で育て、年とともに孫を連れて夏を過ごして来たが、孫も仕事に就くと8月の観光シーズンでは誰も来られなくなり一人に。そこへ冬のスキーよりも夏の山に多く来だしたぼくらに白羽の矢が立った。ぼくらはこんなドロミテのど真ん中に住めるなんて、とラッキーな白羽の矢。ところがおばあさんの家族はテレビも電気もない所へ泊めてしまって…、と申し訳なく思い、最初は息子たちのホテルの食事やお菓子が食べきれないほど届けられ、まるで生贄の白羽の矢のようだった。

・その共同生活も10年続き、食事もローマの家の畑で採れた野菜をドロミテまで持って行き野菜中心の食事に。しのぶが料理する日本風料理を全て美味しく食べてくれ、好物のお好み焼きの時などは得意のヨーデルを歌って焼きあがるのを待っている。朝は、腕がうまく上がらないので、髪を三つ編みにして丸くまとめるのはしのぶの日課に。
山祭り

 エンマおばあさんの娘や親戚が訪ねて食料・お菓子差し入れも多い。そしてここは登山口近くだからぼくらの友達も登山の前に後に立ち寄ってくれ、その貰ったお菓子を食べ尽くして帰るので、中々賑やかな毎日。丁度この日は山祭り。孫たちが毎年ここからの山岳ルートを出発し、友人のロッジを回って歌って飲んで、また歩いて登って…歌って。夜中にこの山小屋へ戻って来てどこかしらのベッドに潜り込んでいる。

2012年9月21日金曜日

イタリア旅行記Ⅱ ドロミテでは



 ローマ市街とチロル地方に属するドロミテを観光した後に、名作映画「ローマの休日」と「The Sound of music」(舞台はオーストリア‥ザルツブルグ)を続けて鑑賞するとなんだか親近感が沸く。2作とも初めてでしたが、どちらも必見ですな~
先日一人で入ったコロッセオ
毎日、朝美さんとアトリエにこもり制作作業し、ユーミンのCDなんかを聞いていると、なんだか日本に居るみたい・・・・と、錯覚してしまう。旅中にも「外国人の多い街だな~」と、そこでは自分が外国人のくせに自分中心になっているのが面白い。自分の居場所を変え、過去の常識と異なった習慣に出会う時、「郷に入っては郷に従え」この言葉が背中を押してくれる。構えてしまっても、自分流を抑え、受け入れてみると発見できる事がある。フットワークは軽くありたい。

 
 そうそう話は山上の待ち合わせでしたね。合流するために西へ向かう僕は、その時。


 おばあさんの道案内図を頼りに進むと、ところどころに分かれ道があり、橋もいくつかあるので、前を歩く家族に現在地を尋ねた。お父さんが取り出した地図を見ると、自分が反れた道を歩き始めていることに気づき、引き返そうとすると地図を渡してくれた。地図さえあれば後は体力と時間との勝負!
 涼しい山間地とはいえ黙々と登ると汗をかき、のどが渇くので、水飲み休憩を定期的にはさむ。その度に雄大な景色を眺め心が弾む。しかし同時に、その中でたった一人なのがやけに切ないのであった。


 ドロミテの主要登山道は森林警備隊が車で行き来できるよう広く、観光客ともすれ違い声を掛け合うから安心。

 水筒の水もキャンディーも、胃袋に入ったコルネットも消化されると、あとは気力だー!と、一人きりの寂しさから開放される喜びを前に、少々ふらつきを感じつつも、道脇の青い花を咲かせた高山植物で気を散らし歩く。
正面にロッジが見えてきた!自然に体が走り出し、ロッジ入り口に立つと、ウエイトレスが東洋人顔の僕を見るなり奥の席を指差した。先を越された!と感づき悔しさ2割、嬉しさ8割で再開を果たしたのであった(写真で見ても、その笑みから喜びが伝わるだろう)。

次回はドロミテでの生活をお伝えします。

2012年9月8日土曜日

山上の待ち合わせⅡ 

投稿者 加藤朝美
セーネスからフォダーラ・ロッジにぼくらが到着。まだ外山くんは到着していなかった。予定通りだと午後4時なのに…と外のテーブルや中のカッフェを覗く。やはり無理だったんだろうか? 2週間前にイタリアに着いたばかりで、アトリエで仕事をしていたから、イタリア全体のことが判ってないんだよね、まだ。遠回りだけど電車で来てもらって駅まで迎えに行くべきだったんだ、と反省が続く。おまけにここのロッジだと携帯がつながらない。
遅い昼食を頼んで友達と雑談していると、「ブォン・ジョルノ~!」と甲高い声で外山君がロッジに入ってきた。小国町のサッカー・ユニホーム8番で元気に登場。まあ、よく来れたものだよね、ここまで。もう三人で抱き合って再会の喜び。外山くんもテンションが高く、説明の声も大きく明るい。

 コルチナ側で道を聞いたイタリア人から、軽装と時間的な遅さから登りを反対されたり、朝からクロワッサン2つしか食べていない空腹だったり、サンダルが壊れて・・・、でも彼はたどり着いた。何か筋肉番付のゴールインのような感激があった。誰が何と言おうと山形の山奥で育っているし、ヒッチハイクで九州まで行ける人だから、心配はしつつも最初から信じていたんだよね(…苦しい弁)。ロッジのキッチンは閉めてしまったけど、W卵焼きスモーク生ハムの大判を特別にこの笑顔の日本人に作ってくれた。
外山くんのサッカー友達でフォダーラ・ロッジの息子・マックス。ラディン語、伊語、独語をしゃべるマックスと、たった三言、四言の伊語しか話せない外山君でも、サッカーは長く出来るんですよね。

2012年9月5日水曜日

イタリア旅行記Ⅰ


8月29日夜、イタリア旅行から無事帰って来ました!
この日は、イタリア北部ドロミテの電気も通じていない谷間の家を朝、車で出発して、ボローニャのブロンズ屋さんに寄りひと仕事した後、ローマに向かい加藤家に到着しました。
 一週間過ごした山間部のドロミテは、日中は半袖で過ごしやすいものの、夜は羽毛布団でなきゃ寝られないほど気温が下がる。霜が降りた朝もあり、夏でも薪で暖を取る生活を送っていました。樺太と同じ北緯にあるドロミテから、函館と同じローマに返ってくると、ん~暑い!と思ったのも、つかの間、9月のローマは涼しく過ごしやすい。日本はまだまだ暑いとか・・・・・


8月21日
 その日は、一人旅最終日で海の町ヴェネチアを朝、電車で出発した。朝美・しのぶさんとの合流目標地はドロミテの山の上のフォダーラロッジ!たどり着けるのだろうか?

朝、観光真っ最中のヴェネチア
  コルティナへは電車で一本(9€)。と思っていたけれど、その手前に終着駅があり、バスに乗り換え(3€)バカンス渋滞に巻き込まれながら2時間でコルティナに到着。そこから登山口のあるフィアメスまでバス(1€)に乗ること15分。
海から山へ  バス乗車中
畑育ちの僕は海より山派!「こんなとこで暮らしてるなんて~」とアルプスの少年ペーターを思い返す。
 朝食抜きでフィレンツエを出て、14時ようやく登山口まで着たものの少しおなかが減ったのでBARに立ち寄った。出来ればレストランでガッツリ食べたかったものの待ち合わせの16時を意識すると、そんな余裕もないので、クロワッサン2つとカプチーノを食べた。
 そのときは、フォダーラ行きはお散歩コースだと想像していたので、600mlの水と飴玉2つを持ちもの足りない胃袋だが先を急ぐことにした。

 入り口がいくつかのコースに分かれていたため、ベンチに座るイタリア人の老夫婦に英語で「フォダーラに行きたい!どの道?」と聞くと、指で示し「あの道だが、こんな格好で行くのか!? 4時間はかかるぞ! 今日はコルティナで泊まって明日の朝出発しなさい! なぜフォダーラに行くのだ!」と聞かれたので、「ぺデルー(フォダーラの奥で山を越えた麓)に友達がいる」と説明すると不思議そうに「友達?泊まれるんだな?じゃあ、川沿いを行き、大きな橋を渡った後、分かれ道を右に行きなさい」と絵を描いて教えてくれた。
 サンダルでも単純な道に安心して出発した。

 

2012年9月3日月曜日

山上の待ち合わせ  投稿者:加藤朝美

ローマを早朝に出発、その2時間後には岩壁の上の町オルビエートに到着。ここで外山君が降りて一人旅のスタート地点。そこからフィレンツェ、パドバ、ヴェネツィアに向かう。ぼくらはそのまま高速道路でドロミテへ。(更に+7時間)
フォダーラロッジと放牧された牛
ドロミテで彼と待ち合わせ方法を色々と話し合ったんだけど、日本から来たばかりの人には飛び切り難しいドロミテの山上ロッジで待ち合わせ。どのくらい難しいかというと、成田に着いたばかりの外国人と1週間後に長野県の上高地の上にある涸沢ロッジで、別々な県から出発して会うようなもの。

つまり、外山くんはヴェネツィアを観光した後、そのまま電車とバスを乗り継いでコルチナまで。更に登山口までバスで行き、そこから2時間半の登山。しかし彼は軽装甚だしいサンダル。

SS坂
ぼくらはその峠の反対側の県の登山口に居る。見るだけでも登る気が失せる激急なエスエス坂を登る。帰りはサンダルでは降りられないほど急なので、外山くんの登山靴をリックに入れて出発。ぼくらは取材も兼ねるから朝、出てセーネスで写真を撮り、デッサンを。途中で森林警備隊の友達にあったので、更にコルティナからの道を聞いて、外山くんの道のりを確認する。そこから外山くんに会うフォダーラへ。フォダーラ・ロッジは友だちのスキーの先生が経営するので、「もし日本人が瀕死の状態でたどり着いたら食事を出してくれ」と言ってあるけど、鉄人・外山なら平気だよね・・・。