2011年12月30日金曜日

アートな一日

29日
 田村家と向井家のミカン捥ぎお手伝いの間の昨日は、アートな休日を過ごした。
 午前中は「地球玉」という羊毛ボールのキットでストラップづくりをした。青色ベースのカラフルな羊毛のポンポンを石鹸水と一緒に手の中でコロコロ転がし玉にして、すすいで乾かす。乾いたら紐を通して完成!これなら咲和も作れるのでみんな大喜びでした。


 

 午後は3人でお絵かきセットを持ってお散歩し、みかんの木や神社のスケッチをして過ごした。

30日
 今日は向井家のはるみオレンジを捥いでいます。

2011年12月27日火曜日

チョッキン!

27日
  晩生みかんの収穫が終わってから日が経ち、昨日から伊予柑捥ぎが始まりました。昨日は岡田家、今日は田村家の伊予柑捥ぎに行きました。

瀬戸内とは言え、やはり冬は寒く、素手で作業するのがやっとです。また山での作業は登り下りを繰り返すと汗が出て、日が隠れると冷えるので、着たり脱いだりといそがしいです。

作業中の田村さんの冗談
「みかんの景気がいいころはハサミが、 チョッキン  チョッキン と鳴らしていたが、今は シャッキンシャッキンに変わっとるんで」  はは、は、は、、、(ぼく苦笑)

2011年12月25日日曜日

サザエさん

25日
ちょうど一週間前にサザエさんを岡田家で見ていると、家族構成やキャストの年齢が気になり始め、食卓の会話が盛り上がった。
そして今朝、再びサザエに興奮した。それは、午前3時の大潮の干潮を狙った、サザエ漁です。普段は海水につかっている磯が、干潮の前後2時間ほどの間だけ歩けるようになり、懐中電灯と収穫袋、貝を引っかきだすための鉄の棒を両手に持ち、岩の下のサザエやアワビなどを採る漁に行ってきました。連れて行ってくれたのは島人の田村さん。
満天の星空と広島の夜景に目もくれず、夢中で足元を照らし、岩場を照らしのぞき込み・・・・・・獲物のために歩くこと3時間。収穫はタコ1ぱい、サザエ十数個、アワビ3枚でした。パチパチパチ)


夜ご飯はサザエ飯とタコ焼きでした。海の幸を直接いただく貴重な体験が、ぼくのクリスマスプレゼントの一つでした。

2011年12月20日火曜日

よ~わからんこと

泉さんが「世の中にはよ~わからんことがよくある」と話し始めました。

1 うまいより早い時代。
みかんが木に実ったまま熟したものがおいしいのに、早い時期に青く捥ぎ取られたみかんのほうが高く売られること。

2 油をつかいたい人々
自分たちが作っているのに、海のはるか向こうの作物を選ぶ人々のこと。

3 質より量
農薬散布のみかん
お金をかけて農薬を買い、みみずを殺し腐らないみかんを安く売りだしてしまう農家。

僕の理解できないことも

戦争を放棄した国民が納めたお金で、1機99億円の戦闘機F35を10年のうちに40機そろえる方針でいること。

僕のちょっとした違和感

今年の漢字「絆」の本来の意味とは、馬や犬などが離れないように繋ぐ綱で、縛りつけ自由を奪うことです。使われすぎると疑いたくなります。ちょっと敏感になりすぎですかね~

2011年12月19日月曜日

インディオと反原発の母



「人間が好き」著長倉洋海 福音館書店発行

‘‘わたしたちは、コンロもテレビも買いません。ものを残して死ねば、子どもたちのあいだで、けんかになってしまうから。”


‘‘森があれば生きていける。子供には森のほかには、財産は残しません。”

















岡田家の本棚にあった写真集に目を通した。


 17日の愛媛新聞の総合の欄に、「反原発闘争 母から娘へ」という題があり、記事を読んでみた。
マグロの一本釣りで名をはせる、本州最北の大間町にある建設途中の大間原発と、その中止を訴え続けた故熊谷あさ子さんの記事です。あさ子さんは原発建設予定地(130ヘクタール)内の畑(1ヘクタール)で野菜や花、イチゴを育て、海岸で海の幸をとって暮らしてきた。一方、大間原発の計画が動き出したのは30年以上も前で、1990年に用地買収が始まり、2000年ごろから準備工事は本格化、今はクレーンが林立するも震災以降、工事がストップしたまま。6千人余りの町民が原発建設の賛成派に変わっていくなか、あさ子さんは

「大間の海は宝の海よ。アワビにマグロにウニに昆布―。ちょうどいい量とってると、永久に食べていける。だから、そんな(大事な)ものを一時金に換えるなんて、ばかげた話。ご先祖様にも、子孫にも申し訳ない。」

と言いきって、破格の買収資金にたった一人応じなかった。
しかし、2006年5月建設予定地内の共有地をめぐる裁判のさなかあさ子さん(68)は急死し、その秋の裁判で敗訴が確定する。
だが、海を越えた函館近郊に住むあさ子さんの長女小笠原厚子さん(57)が母の遺志を継ぎ、昨年7月函館の市民グループとともに電源開発と国を相手取り原子炉設置許可取り消しや、建設工事差し止めを函館地裁に提訴した。
大震災以降町は静かで工事のつち音もやみ、約1700人の作業員も戻ってこない。


2011年12月17日土曜日

休養

16日
むかいさんのミカン捥ぎと出荷のお手伝いをしましたが、夜にかけて体がだるくなり18時には就寝。
僕が愛媛に来てから、ちょうどひと月が経って疲れが出たのでしょう。

17日
朝起きて、はっきりとした症状はなかったものの、まだだるさが残っていたため一日休養をとることにした。ばあばちゃんが僕のお世話をしてくれるので心強いが、こんな時一人はつらいな~と、ばあばちゃんの作ってくれるおかゆを食べながら、一人暮らしの心細さを想像していた。

午後は横になりながら、植村直己の「青春を山に賭けて」を熟読していた。明治大学山岳部だった植村氏が大学卒業後、アルプスの山にあこがれて無一文でアメリカに渡り渡航費を稼ぐためぶどう農園で働くが、移民調査官に捕らわれ、日本送還の危機に立たされる。しかし、ヨーロッパのアルプスへの憧れを必死で主張し、日本送還を逃れスイスに渡る。3年間スイスを拠点にヒマラヤのゴジュンバ・カン、アルプスのモン・ブラン、ケニアのキリマンジャロ、南米アンデス山脈のアコンカグアなどそのほとんどを単独登頂した、貧乏人のすご~いお話。
思いを強く持ち、求めるうちに協力者が見つかり、道が開けてゆく植村氏の経験に僕は自信を与えられた。今日一日横になりながらも夢を広げていた少年でありました。

2011年12月15日木曜日

2人を通して

15日 兄の24歳の誕生日
昨晩、歯にくっつくアメをなめていると銀歯が外れたため、午前中に島で唯一の歯医者さんを利用しました。建物は新しく、清潔感のある歯医者さん、利用者は高齢者ばかりで若い人は少ないと受付のお姉さんが言っていました。保険証を渡して住所が山形県と記されていたので「なんでこんなとこにいるんだい」と珍しがられました。島出身者でも島外の歯医者を利用する人がいる中で、東北からの客に驚いた様子でした。
午後からはちょこまかしたお手伝いをしました。


岡田家の咲和と栞那とのかかわりを通して、自分を見つめる機会を与えられています。4歳の咲和ボー相手に大人げなくむきになったり、いらだったり、付きあってられんと言う時もあれば、無床にかわいくて優しくしたり、笑わせたりすることもあります。僕の気分に振り回されるのも楽ではないでしょう・・・・。
子どもの自己肯定感を大切にしたいと思っていても、素直に褒めなかったり、冷たくしたりする意地悪な自分が出るとき「俺ってこんなことに、こだわってんのか」と気づくことができます。栞那相手に「このくらいしかできないだろう」と決めつけて接したりして、上からモノ言うような態度の自分に気づいたりなどなど。いかに自分の肝っ魂が小さいかを2人から学んでいる毎日であります。

2011年12月14日水曜日

化粧落とし

13日
午前中は3月収穫予定の清見(きよみ)オレンジに、ヒヨドリから実を守るための袋かけをして、午後からイノシシソーセージ作りをした。ミンチにしたイノシシ肉に味付けをし、腸に詰めて一度ゆでてから燻製しました。出来はぼそぼそしたソーセージになりました。 

14日
今日は朝から弘島さんのみかん捥ぎヘルパーに行きました。みかん色に輝く斜面を端のほうから、少しづつ少しづつ収穫し緑色にしていく仕事は、山の化粧落としをするようでした。

2011年12月12日月曜日

12日
今日はよしさんのリハビリの日だったので、竹馬を完成させたり、仕込んでいたイノシシ肉を燻製にしたりしました。燻製にしたベーコンは外で風に当て一晩熟成させ、煙たさを取り除きます。

岡田家にはあきさんのお父さんが浜松から仁平くんに会いに来ました。お父さんは幼稚園の園長さんだけに子どもとのふれあい方が素敵です。

2011年12月11日日曜日

夢の扉

11日
今日は愛媛大学のわじき君とよしだ君と泉さんで、生姜引きをしました。わじき君らが開墾して種まきした生姜はやっと収穫し終わりました。
休憩中、サンタさんに何頼みますか?と質問すると「金と彼女」と即答のわじき君、「寂しくない時間」とよしだ君、いつもバイトや一人で過ごしてきたクリスマスから抜け出したいと望んでいました。

作業中戦争の話になり、岡田家から見える海に、戦艦大和が通っていったときは、島のようだったとか、広島の原爆投下の時は中島にも光が届いたとか。


広報が手薄でしたが18:30~のTBS夢の扉に我が家が映りました。驚くことに亡き父の写真まで全国放送され、父が復活したような気分になれて、とってもうれしかったです。

2011年12月10日土曜日

10日
♪もー いーくつ ねると クリスマス♪
テレビ番組ではクリスマスSPなどが放送されていますが、岡田家の食卓にもクリスマスの話題が上っています。栞那は「サンタさん一輪車持って来れるかな~」と、希望している一輪車が大きくてサンタさんには運べないんではないかと心配。一方、あきさんが心配しているのは、小学2年生の栞那には一輪車は難しく、飽きてしまうんではないかと言うこと。会話は進展し「まづは竹馬から練習してみたら」と言う提案があり、僕が作って栞那にプレゼントすることにした。

竹の生えない土地で育ってきた僕は、竹に対する憧れが小さいときからありましたので、気合が入りました。まづは竹馬の作り方をインターネットで調べ、山から竹を取ってきて、夕方から作り始めること2時間。今日は1本目が完成しました!栞那もとっても感動してくれました。

今日は風が強く吹くなか、防風ネット張りをして、午後はみかん捥ぎ。作業療法という治療法がありますが、わき腹も作業中のほうが調子が良かったです。
 今夜の月食も見ることができています。

2011年12月9日金曜日

またやっちゃった!?

9日
ビニールハウス作りの続きをしていて、力いっぱい鉄パイプをまげた時、 ポキッ と再び治りかけていたわき腹から音がして、作業中断。今回は前より痛くなってしまったので、午後は安静に横になっていました。

夕食後、咲和と栞那と3人で積み木のジェンガで遊びました。懐かしのゲームに人一倍熱くなってしまいました。そんな中、明日が休みの咲和姫は狂ったように騒ぎ、それがおかしくて腹を押さえながら大笑いした夜でした。

2011年12月8日木曜日

立ち止まる

8日
午前中は雨が降っていたので、個人的な荷造りをしてそれぞれみかんなどを配送した。送り先のひとつは石巻のおちゃっこでした。今ごろ、みんなどうしているんだろうか?と想像しながらみかんを箱に詰めていきました。半年過ごした土地のことは遠く離れても気になるもので、僕のことを忘れない内にまた会いに行きたいな~と思っていました。

午後からは晴れ、岡田家の庭のビニールハウス作りをしました。今日は、置き去りになっていた錆びついたパイプの長さを揃え、曲がり具合を合わせてから、地面に挿すところまでできました。
明日はよしさんがリハビリに行く日なので、僕はこの続きをします。


良かれと思ってやったことが、良くない結果となってしまう経験をしたことがありますか?僕はよくあります。また、そのときは本気で反省しても、忘れたころに繰り返してしまいます。その忘れるころの心境は、気分が良く周りが視えず夢中になっているものです。そしてずっこけてしまいます。
今日がその日でした。
地に足をつけて、立ち止まり、振り返る。それぐらいの心のゆとりを持つことができなきゃ、少年からは卒業できませんね。

2011年12月7日水曜日

ベーコンに挑戦

7日 晴れ 
今日は朝からむかいさんのみかん捥ぎヘルパーでした。みかんは早生(わせ)中生(なかて)晩生(おくて)という順に、時期をずらして収穫しますが最近捥いでいるのは晩生でした。しかし今日収穫したのは石地(いしじ)という違う種類のみかんで、糖度が晩生の12~13度に比べ石地は15度もありました。好みはそれぞれですがとっても気に入ったので、明日はその石地を石巻や家族含め各地に配送しま~す。

今晩、昨日解体したイノシシのばら肉をベーコン用にバジル・塩・こしょう・ワイン・玉ねぎ・ニンニク・生姜・みりんを合わせた汁に漬け込みました。5日間冷蔵庫でねかし、その後1日外で干して燻製し、また一日外で熟成させて完成!という工程で進めていきます。初めてのベーコン作りに興奮しています。

2011年12月6日火曜日

やっちゃった!?

6日
朝、目をさまし身体を捻らせ、姿勢をおこしたとき  ポキッ  と、ろっ骨から音がした。その時、あることを思い出した。
  先日2日のむかいさんの畑で、僕は1m50cmくらいの三脚の上でみかんの収穫を行っていましたが、バランスを崩し横向きに落下。腹を打った衝撃で呼吸が苦しくなりましたが、すぐ呼吸は落ち着き、けがが無いのを確認すると、また作業を再開しました。僕にとっては忘れてしまうような事故でしかなかったのですが、ポキッという音は確かにその時打ちつけた左ろっ骨の一番下の場所から聞こえたのです。

今日は、よしさんと畑里のみかん畑におにぎりを持っていき、みかんの収穫をし終えた3時ころ、100kg級のイノシシが罠にかかったとの連絡を受け、まだ温かいイノシシの解体作業に加わり、日が暮れる5時頃レモンの収穫をしました。

1日を過ごしてみて、朝の ポキッ の正体は軽いひびだと決めました。作業中は左腕を高く伸ばしたときだけ痛む程度で、あまり支障はありませんでした。
今回身をもってけがをしてみて、初めてよしさんの”戻ることのない右手の指がもつ障害の大きさ”について考えました。指がなくても平気な顔して働くよしさんが、今日の僕には辛く映りました。

2011年12月5日月曜日

田村さんヘルパー

 5日 晴れ!!
今日は中島の最も北に位置する集落である畑里(はたり)の田村さんのみかん捥ぎヘルパーに行ってきました。そこは傾斜のきつい畑であり、モノラックで登るのも怖いくらいでしたが、ぐんぐん登ると瀬戸内の穏やかな海を見下ろすことができ気分が良かったです。

昼食はカレーをごちそうになり、畑ではみかんもごちそうになり、また今月クリスマスの超早朝の潮の引く時間を狙ったサザエ漁にも同行させていただく約束まで持って帰ってきました。

田村さんは2兆5反の畑をご夫婦で手入れしていて、2人のお子さんを大学に通わせながら有機農業を営んでいます。限られた労力を振り絞り、経費を引いた残りの厳しい収入の中での子育てを「本当にきついが本人の行きたいところに行かせてやりたいから働くしかない」 「しかし売り先や収量は安定しない」と現状を語っていました。


夜はついついプロフェッショナルを見てしまい遅くなってしまいました。

2011年12月4日日曜日

4日あきさんのお誕生日でした!
今日は泉さんの生姜堀を愛媛大農学部3名と泉さんの親戚などと一緒に行いました。覚悟はしていたが一日中生姜堀を行うのは腰にきました。終盤は ひとつ  ひとつ  休み  またひとつ といったゆっくりペースで抜いていきました。

今夜も夕食を泉邸で頂き、岡田家に帰ると元気のいい二人にたかいたかいをねだられ、またも腰を使い、今夜はよく寝れそうです。

はっ!今日はTBSの夢の扉(18:30)のワンシーンに我が家が出演する日やった!と20:00ころ思いだしましたが、どうやら番組が来週に延期されたらしく一安心です。フー
来週、日曜日TBS『夢の扉』18:30~お見逃しなく!兄出演します!??

2011年12月3日土曜日

3日
午前中は雨のためミヒャエル・エンデ著のモモを読んでいました。もともと読書になれていない僕も、中島に来てから本を読む時間をとるようにしています。モモはまだ途中ですが「時間」をテーマにしたお話でとっても面白いです。

午後からは雨が上がったので泉さんの生姜堀りヘルパーに行き、夕食までごちそうになりました。

半日生姜を引き抜くだけでも、結構腰にくるものですが、明日も朝から生姜掘りなので休み休みしようと思います。

2011年12月2日金曜日

むかいさんヘルパー2

 2日
今日もむかいさんのみかんの収穫に行きました。午前の天気は風だけでもってくれましたが、昼から雨が降り出しみかん捥ぎは中止になりました。
岡田家にはあきさんのお母さんが来て栞那と咲和が大興奮の夜でした。

みかん捥ぎの方法
使うのは手にすっぽり入るほどの鋏で、みかんのへその根元から切り落として収穫します。
 普段は右手に鋏、左手でみかんせいぜい2個を持ち、肩にぶら下げた袋に入れていきます。
高い木の収穫は木に登って手を伸ばした体勢になりながら行います。小さい子と遊んでいると必ず「ゴリラ!」と呼ばれ、木登りに自信のある僕が枝に絡まりながらいると、むかいさんのお母さん(65)が「そこは私がやってあげるから、下のほう採りなさい」と言い、断然上手に木登りをしていました。
この2日間、むかいさんのお父さん(72)とお母さんの3人で収穫したみかんです。

2011年12月1日木曜日

むかいさんヘルパー

12月1日
 昨夜強い雨が降っていたが、朝にかけて強い風が吹いたおかげで山は乾き、今日はむかいさんのみかん捥(も)ぎヘルパーをしている。
 昼前の収穫が終わり29ケースのコンテナを車に積み、さぁ帰ろうとしたとき、向井さんが「さぁ祈りますよ」と。収穫に感謝して祈るなんてなんと素敵な人だと感心して、しみじみ「祈るんですか~」というと、「っえ!!」とむかいさん。
 本当は「いぬりますよ」和訳:帰りますよ。と言っていたのですが聞き間違えて祈りますになってしまいました(笑)

2011年11月30日水曜日

30日
 明日から12月だと言うのに、今日は21度まで上がり太陽の下半そで短パンで作業しても汗が出てきました。今日はよしさんがリハビリの為松山へ出て、僕は朝から小屋に設置する流し台を作る予定でしたが起きてみると10時でビックリ。ちょゅう食を食べ終日小屋の流し場作りをしました。

 最近島の゛あいさつ゛に注目しています。
歩行者たい自転車はもちろん、歩行車たい車でも一瞬のコンタクトがさりげなくでも確実に行われています。お年寄りになると挨拶から会話が始まります。僕は小中学生の頃あいさつをしようと言う教育を受けたが、この島の挨拶にはやらせさを感じず自然なところに感心しています。

2011年11月29日火曜日

29日
今日は半袖短パンで過ごせるくらいぬくい天気だった。(中島の人は熱い・暖かいことをぬくいと表現する。まだ蚊やハエが飛んでいて、毎晩眠りに入るのを邪魔されています。

午前中はみかんの出荷をし、午後から倉庫造りの続きをした。

夜食はイノシシの焼き肉。

夕食後に泉さん(80)夫妻が仁平くんに会いに来ました。
「赤ちゃんを見に来たぞー。わー 、赤いのー」と泉さん。

今も産声に似た声で泣いています。

2011年11月28日月曜日

チャリンコ

28日 生まれたての仁平くん初帰宅。
今日はよしさんの生姜畑を耕運機で耕しました。でこぼこな畝にハンドルを取られながらも何とか表土をかき混ぜることが出来ました。

その後、古いロードレーサー用の自転車のタイヤ交換や掃除をしました。これはよしさんが僕の移動手段として差し出してくれた大切な自転車です。運転免許を取るまでは自転車が必需品でしたが、今では近くに行くのにも車を使ってしまう悪い癖がつきました。これを機に自動から足動へと転換していかねば!

2011年11月27日日曜日

収穫感謝祭

東京から音楽と農業で島おこしを夢見るバンドの先発隊。9月には3反ばかりあるみかん畑を購入



生姜産業で島おこしを試みる泉さんを応援する島の方。
収穫後の感謝祭では泉さんが日頃の感謝をこめてと、大勢の方にご馳走を振舞ってくれました。

 27日
 泉さんの収穫感謝祭をしました。生姜掘り体験と食事会という流れでした。
さっそく感想ですが、個人の企画に対して大勢の方が来て驚きました。また、とってもおいしかった!

明日、あきさんと仁平君が帰ってきます!
中島のあらゆるところに通っているモノラック(人やみかんを運ぶエンジンモーター式運搬機)。写真ではわかりませんがやぶの傾斜は50度ほど。レールは一本4mで4万円だそうです。





やぶを抜けると山の上のみかん畑へと続きます。

泉精一さん

26日 壁紙を変えてみました。
今日の中島は快晴、夕方にかけて空気が冷えこみ夜には寒くなりました。
本日の活動はよしさんの農業の先生で、36年もの間中島で有機農業をしてきた泉精一さんの生姜の収穫作業を研修生1名、愛媛大学農学部3名と共に行いました。


泉さんの紹介 http://alter.gr.jp/Preview2.aspx?id=5308&cls=

(紹介文の中の「海外農業なども経験してきた優秀な研修生」とはよしさんのことか!?)

  一般的な生姜というのは毎年ごとに土壌消毒をしなければ連作障害を起こしやすいため、臭化メチルという強い薬を使っている。しかし、臭化メチルの使用を国が禁止することになり、農家は代用策を必要としている。

  そんな中、泉さんは3年前から不耕起の畑でライ麦を活用しながら「地力を活かし生姜の連作を可能に!」という志のもと生姜づくりを実験をしています。今日は1年目の畑で来年用の種生姜を収穫しました。
明日はこの畑で生姜の収穫祭を泉さん主催で予定しています。お客さんや関係者ら30名ほど集まる予定で、僕はそのスタッフに回ります。


愛媛大3回生の3名はこの土地を、1月当時荒れていたみかん畑を開墾し、畑に生姜を巻き毎週土日を利用して交替で松山から通い世話を続けてきたそうです。研究のテーマは「有機農業で経営は成り立つのか」です。

去年の今ごろはジャングルだった土地

若き開拓者と泉さん




山口県に落ちていく夕日


2011年11月25日金曜日

誕生

24日
みかん畑の草刈りや収穫、発送を終え、夕食後妊婦さんのあきさんが少しそわそわとしていた。僕に対しても「お米はここで・・・・」など一人の留守番時の説明をしてくれた。あきさんは10分ごとに耐えられるほどの陣痛を感じながらも、家を離れる準備をしていたのだ。ここ中島には病院がないので深夜0時、松山市から緊急の船を呼び、よしさんと栞那、半分寝ぼけた咲和を連れ、1時間以上かけて市内の助産院へと向かった。僕はひとり眠りながら留守番をし、みんなの帰りを待つことにした。



25日
今朝、8:30犬の鳴き声に目が覚めると、外にはばあばちゃんと愛犬のユウジロウ、それと小屋を建てに来てくれたよしさんのお友達のお二人が作業を始めていた。「ヤバい!もう始まっている」と分かり飛び起き、作業着に着替え遅刻参加。すると、ばあばちゃんが「明けがたに産まれたって」と教えてくれた。25日朝、約3200gの男の子が岡田家の長男として誕生しました。祝!パチパチパチパチッ

咲和が撮ってくれました。僕まるで・・・・・・・猿。
夕方、僕はひとり屋根貼りをしていると、あきさん以外の3人がほっとした顔をして帰ってきた。なんだかその姿はチームって感じだった。ほっとした3人は夕食後の夜7時には寝床に就いていた。
あとの2人の帰りは気長に待つことにしよう。

2011年11月23日水曜日

23日 勤労感謝の日 
今日の中島は雨、作業はボチボチ屋内でこれから建てる小屋に使用する柱のくぎ抜きをした。

夕食時の会話では名前について盛り上がった。もうすぐあきさんから生まれてくる男の子の名前や、もし女の子だったら何とつけるか、やっぱり名前で呼ばれるような呼びやすい名前、からかわれないような名前、漢字かひらがなかなどなど。そんな中よしさんは「仁平」からぶれることはなかった。

2011年11月22日火曜日

22日
今日はバアバちゃん(かんなのおばあちゃん)と10m位の畝に人参やライ麦の種を交互に蒔いていきました。今ごろ人参を蒔くと3月ごろには収穫できるとか・・・瀬戸内の気候恐るべし。
3時ころから生姜の収穫とみかんの収穫に取り掛かりました。日照時間はどこも変わらないと思いますが、朝が遅い分、日が落ちるのは夕方5時くらいなのでゆっくりと作業ができます。そのころやっと一本の木からみかんを一つ一つはさみで収穫し終え、コンテナにいっぱいになりました。お店に並ぶ段ボールのみかんも手作業で収穫されていたんだと実感しました。意識していなかった生産者の存在に気づくことができ感謝の気持ちが増しました。

2011年11月21日月曜日

草刈りをした後に収穫した、すっぱめなみかん。本格的な収穫は12月中旬からのひと月                      
   
今日の中島の天気は晴れで、お昼の気温は13度。フリースの上にヤッケを着てレモン畑の草刈りをしていると、汗でTシャツがびっしょりでした。
レモン畑やライム畑といった表現をしていますが、実際は一つの畑にあらゆる種類の柑橘類が植わっていて区別されておらづ、ただ「レモンが多めに生っていたな~」という印象から、僕が勝手に「レモン畑」と呼んでいるだけです。レモン畑には 下の写真の「チェドロ」という加工用レモンもあります。チェドロは国内ではほとんど作られていない品種で、この実は重みで枝が折れていたところを僕に救出されました。
今日届いたソファーに喜ぶ2人と冷静なチェドロ

 お昼どき、家の前の海(広島方面)を見ていると広島県呉(くれ)市の海上自衛隊の護衛艦が2艘交差するのが見えました。宮城県石巻市ぶりの再会は海担当の方でした。
 

2011年11月20日日曜日

イノシシ解体

  20日
今日は久々に晴れていたので、午前中はレモン畑の草刈をし、お昼に中島唯一の宿「宝山亭・ほうざんてい・」でのELT(小中学校に時々来る外国人英語教師)との交流会に参加した。よしさんは20歳前後にケニアやアメリカの州立大学に通っていたため英語がとても上手で、島の英語クラブから誘いがあり、僕も付いて行くことにした。久々の英語での自己紹介ですらグダグダな私は、何とか笑いでその場を凌ぐので精一杯。(こんな私も海外に憧れていて、その内カナダで自然環境を勉強したいと思ってはいるのですが・・・・・)
お昼からはライム畑の草刈をし、ひと段落着いたところで、僕が希望していたイノシシの解体を体験しに行くことになった。今日捕獲されたイノシシの頭と内臓が処理されている状態から皮をそぎ落としブロックごとに解体して、肉は山分け。夕食ではスペアリブの炭火焼をいただいた。味は獣臭さは全く無く上質な豚肉のようでした。よしさんいわく「いいもん(畑の作物)喰ってるけん、脂まで食べやすいやろ」と言っていました。山が荒れイノシシの住みかが増えた中島のような場所が、日本のどこへ行ってもあるのでしょうね。

2011年11月19日土曜日

雨の日の散歩

有機レモンを握りしめて

 今日は一日雨模様。午前中は宇和間地区の神社の新なめ祭に参加しました。山のふもとの不揃いの石段を40段ほど上がると、木々に囲まれて鳥井が立ちその奥に境内があり(ジブリの世界のような異空間)、中には参列者が15名ほどいました。雨にもかかわらず地域の方々はしっかりと伝統行事を守り、今年度の収穫に感謝していました。

  お昼に咲和と散歩をした。まづはみかん畑に行きました。
ポージング、ばっちり決まっています。イノシシ被害を防ぐための電線と黄色い注意看板。
 その次は生姜畑に行きました。そろそろ雨が小雨に・・・
 最後はあきさんと車に乗り、島で一番大きいスーパー「トミナガ」に行ってきました。もちろん利用者は島の人しかいないので、買い物途中の会話があちらこちらで見受けられました。

生姜の新発見!

 サンマと煮たり、豚肉と焼いたり、ジュースとしても重宝する生姜の姿を初めて目にしました。葉は笹のように見えるけれど、しっとりとしていて柔らかく、背丈は膝より少し高め。収穫はスコップで掘り起こし、ハサミで茎や根を切り落とし水洗い。形の良いものはそのまま出荷し、半端なものは輪切りにして乾燥機にかけチャック付きの袋に入れて「乾燥生姜」として商品になります。
生姜の根がしっかりと砂っぽい島の土をつかみ、その中にはミミズもいました。
コンテナの中には収穫した生姜がいっぱい
   一つの種ショウガから生姜家族ができていました。しかし、中には種ショウガの方が大きい生姜もあり採算が合わない・・・・ 

2011年11月18日金曜日

岡田家の食卓をより明るくしてくれる咲和(さわ)ちゃん4歳。
「みんなで食べるとおいしいね」と家族みんなで囲む夕食を人一倍喜んでくれます。

僕が中島に来るきっかけとなったのは、咲和ちゃんのお父さん(よしさん)が夏の農作業中に草を粉々にする機械に右手を巻き込まれ、怪我を負ってしまったからであった。僕との関係は高校の21年先輩ということだった。
夏にヒッチハイクで伊豆の平和集会に参加し、よしさんとはその集会でお会いするはずだったのだが、その前日に事故は起った。集会の役員を務めていた高校の恩師の今野先生が「岡田君が来れなくなってしまった」と慌て、「今後の彼の農業(みかんやレモンの有機農家)は大丈夫だろうか」と心配していた。そのことを受け「僕、行きます。」と決断したのが始まりだった。

実際によしさんとお会いしてみると、中指と薬指が第二関節までなく、人差し指が第一関節くらいから付いている状態でしたが、顔色は良く言葉も前向きだった。
昨日は事故以来放置状態になってしまったみかん山の草刈りをよしさんと2人ブッシュカッターで行った。怪我を感じさせないよしさんのブッシュカッターさばきに見とれながら、斜面にがっちりと育つ雑草君に四苦八苦。そこからの景色は眼下にみかんの木が急な斜面に広がり、薄青い瀬戸内海に浮かぶ島々を見下ろすことができる。その景色を見て11年前(独身時代)のよしさんは「ここで暮らしてみようかな~」と思い中島で新規就農!就農2年後に奥さんのあきさんと一緒になった。
現在の岡田家には8歳の栞那(かんな)ちゃんと咲和ちゃんと、あと1週間で生まれてくるあきさんのお腹の中の男の子がいます。皆さんお二人の体が守られますよう祈り、覚えていてください。
 二人が学校や幼稚園から帰ってくると、僕は二人に操られ遊んでいます。明日は土曜日、1日中一緒にいるとなると相当体力が必要なので、補充の為にそろそろ失礼いたします。

2011年11月16日水曜日

愛媛に到着

北海道帯広市の一般的な中学校の修学旅行先は函館で北海道内で、高校で京都・奈良へ行くのがスタンダードなのですが、僕の場合は山形から行く北海道18泊19日酪農実習付きというコースだったので、only北海道でした。その際、行き損ねた京都での2泊3日の観光では清水寺と銀閣寺への寺巡りや、京都造形芸術大学への大学見 学、中山間地で有機農業を営む谷口農場(娘さんが高校の後輩)への見学とミブナの袋詰めなどを体験しました。宿泊先は先輩の部屋や、同期のアパートに泊めてもらい毎晩一緒にご飯を食べに行ってました。

昨夜は車内の熱い夜行バスで京都を出発し、今朝松山に到着。早速道後温泉の足湯につかり体を休め、その後、実習先の岡田さんと合流し、お昼過ぎにフェリーで中島に到着いたしました。

石巻での生活は僕にとって初となる住宅地での暮らしで、街での遊び方が分からなかったのですが、今回は家の前が海、山に向かえば柑橘(かんきつ)畑。得意な田舎暮らしのスタート!みかんへのイノシシ被害が増えている、この島でこれからどんなことが始まるのだろうか!?
 

2011年11月12日土曜日

東京にて

 山形の田舎から打って変わって大都会東京に来ています。昨日は雨だった東京の天気も、今日は晴れ。晴れてくれてありがとう
 今日はお昼から関東地方の同窓生(独立学園)の集まりに行ってきます。90歳を過ぎた元音楽教師の華子先生にお会いするのが楽しみです。そのあとも同級生と会い、今晩京都へ向かいます。
 
 
 
 

2011年11月10日木曜日

 雨の日が多かった山形での一週間の仮暮らしも最終日は晴れてくれました。そ
ろそろ愛媛への荷物をまとめて送らなければなりません。川崎家での生活が在学
中のときよりも、だんだん実家暮らしの感覚になりつつあり、北海道に帰ってい
なくても腰を下ろす事が出来る場所です。
 昨晩、高校時代の恩師、今野夫妻のお宅へお邪魔しました。お二人とも76歳を
過ぎてもお元気で、変らず生徒の溜まり場となっていました。これから始まる愛
媛への話を持ち出したのは今野先生でした。だから、責任を感じていた。言われ
るがままに動いているような僕の人生が本当にこれでいいのかと・・・。「外山
君自身の道がある」「その時々の関心ごとに時間をつかい、結局何をしていきた
いのか?」と問うてくれました。
  
 「如何に生きるか」

 と問うていよう。
 
僕は今晩、新潟発の夜行バスで東京へ向かいます。

2011年11月9日水曜日

 先日のワールドカップに私も参加する事になり、半年振りにサッカーをすると
・・・・足が・・息が・・動かない。(ちなみに現役時代もたいした動きません
でした)これからは丘でのみかん狩りが始まるというのに、こんな体力では心配

もう4日たったというのに筋肉痛が消える事がありません。
 動かぬ身体を精一杯動かし、川崎米農家で冬支度の準備を進めています。小国
には3m程雪が降り、雪が降り始めてからでは身動きがとれず、重みで物もつぶれ
る厳しい冬がやってきます。秋のヘックサ虫(カメムシ)が多い年は雪も多いと
いう話があり、今年のヘックは村人が驚くほど多いそうです。

 昨晩、小国フォルケにて武夫妻と川崎夫妻、僕と同期で今年卒業し10月まで
長野県の野辺山で朝四時からのレタス収穫を繰り返す援農に出ていた杖君とで、
すき焼き慰労会をした。途中、酔ってきた米農家の吉巳さんはTPPについて語
り始めた。TPPは農業か経済かを二者択一するような単純なものではなく、医
療の利用者、農業の消費者、この国の労働者など、全ての人が影響し、しかしご
くごく一部の人しか富を得ず、そのものだけが生き残る事が出来る「自由」な政
策でした。
川崎吉巳氏の主張を参考までに
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd4/index.php?id=29

2011年11月6日日曜日

宮城から引き上げました

 少年はどこへ行ったのだろうと気にしていただきありがとうございます。
私、ただいま山形県小国町に帰ってきております。ここ川崎さんのお家で借り暮らしのアキエッティーとして多少のお手伝いをしながら、楽しく過ごしています。
 今日の小国はあいにくの雨模様です。母校ではワールドカップが開催される予定ですので、コンディションの悪い試合になるでしょう。それにしても「ワールド」の規模が小さくかわいらしいものです。
 
 僕が小国町にたどり着くまでの経過を報告しましょう。
10月末は連日、送別会を開いてくださり、おちゃっこお茶っこ大街道、お茶っこ湊、環境ネット、アプカス+酪農学園ボラ、それぞれが祝ってくれました。
11月に入り石巻から北上し母の実家にご挨拶をし、さらに北へ盛岡の兄のアパートにお泊り。そこでは東京から盛岡に復興関係で転勤になった叔父夫婦と会い、高校の同級生功ちゃんと遊ぶ。
 夜間、盛岡から秋田回りで山形へ向かう途中、石巻で知り合った若おかみの働く秋田県湯沢ロイヤルホテルに泊まり、4日お昼に山形に到着。

 こうして石巻での活動を引き上げたわけですが、宮城から愛媛に替え僕のブログは今後も続けますのでお付き合いよろしくお願いいたします。
 

2011年10月27日木曜日

おちゃっこ店長

本日の少年はおちゃっこ店長でした。
ランチメニュウーは・ごちゃ混ぜおかゆ
              ・とろろ昆布ねぎ味噌汁
                    ・ジャガイモと赴の煮物  でした。
ジャガイモは外山農場の新じゃがメークイン!また、ねぎは独立学園産使用!
おかゆ用白髪ねぎに挑戦したが苦戦。
本日のお客さんは19名。常連さん4名。環境ネットさん4名。ボラさん5名。大家さんの中村さん。
新人さん1名、ほか4名。
環境ネットさんとは連絡先を交換し合って別れを告げた。
「また来たときは声かけてね」と三浦さん(農家のおばちゃん)。いつも腰が軽くせっせと働きにこにこしている姿が印象的。芋煮会には有機農法で作った新米を提供してくれました!


  昨晩、湊のリフォームを終わらせ車に乗り込んだ19:30。吉巳さんからTELがあり11月上旬に手伝いの依頼を受け、奥さんの恵みさんからの伝言「最後に張り切りすぎて怪我や事故しないようにね」との忠告をありがたく受け取った。そう、いつも僕はそういうときに失敗するのだ。と、自分に言い聞かせたとたん、ギー 車のタイヤ付近をこすってしまった。ガックリ 
 体の怪我だけはしないよう気をつけようと反省。




最近のカトシュン

半年間、食事も宿舎も活動も一緒に生活をともにしてきた自称20歳のカトシュンが、先日初めて料理をしていました。その日の夕食のメニューはチャーハンでした。てっきり料理ができないのかと思っていましたが、実は料理がすきそうな様子でした。
おちゃっこ台所でフライパンを振るってチャーハン作成中のカトシュン。
おちゃっこ湊のリフォームが完成し、電気、ガス、水道も通り後は内装だけ。お部屋作りはカトシュンのデザインにまかせっきりで、本人は「畳の部屋だから旅館風にしたいな~」と言っていましたが、一体どうなっているのでしょうか?29日10時からオープンイベント+送別会を湊の方々とする(してくださる)ので、そのとき部屋に暖かさが満ちることを期待しています。
当日(29日)のプログラム in 湊4丁目「おちゃっこ湊」
10:00~ エゴ レモスさんのコンサート
11:00~ 面白おじさんのお話
12:00~ 持ち寄り昼食会
13:00~ tea time

2011年10月24日月曜日

無事到着

  21,22日と休暇をいただいたので20日の深夜に車を走らせ小国に到着した。記憶に任せて何度挑戦しても夜中の道は間違えてしまい、結局カーナビに頼るのである。まぁ、事故無く小国に到着できて一安心。その夜は武先生の家の前で車中泊。
 目が覚めると重松山の紅葉が車窓いっぱいに広がっていた。その日はまるまる学園で過ごし、夜は武家(コロバの家)に泊まった。


22日には独立学園東北ブロックの同窓会に出席するため吉巳さんと宮城県の茂庭へ行きました。さすが東北だけに会は「東日本大震災」の話題で持ちきり。まずは石巻専修大学で教授を務め、自身の自宅が全壊で被災した高崎先生のお話を拝聴しました。科学者としての客観的な洞察を震災前から震災後、これからといった時間の流れとともに話してくださいました。
夕食時は創立者:鈴木弼美が40年前に残した「経済成長は神の刑罰」という言葉が何度も行きかった。経済成長真っ只中で「日本は後に堕ちてゆく」と聖書から学び、そう発言した弼美先生は仲間たちからも笑われた。しかし彼の預言が次々に起こっていくのである。誰もが正しいと思っている中でも彼の真理に対する姿勢は何よりも勝っていた。
この日は温泉に入り旅館で泊まることができた。

23日に石巻に到着すると、実家からのジャガイモ、かぼちゃと小国のあい子さんからの手作りの冬物が箱いっぱいに届いていた。かぼちゃに関しては、早速おちゃっこで使われております。冬グッツには一枚一枚カードまで一緒につけて送ってくれていました。こんなかわいいのはしっかり配ろー!


残りの日々も一週間。やり残したことを最後までやって帰らなくちゃね。

おちゃっこ湊の工事中に西さんが3時のおやつにタイ焼きをごちそうしてくれました。


2011年10月20日木曜日

夕べの夕焼け、秋を感じさせます・・・・
日和大橋より。写真左の山は宮城と山形の境にある蔵王連邦。
テトラポットが崩れているのがわかります。
 今日はおちゃっこで芋煮会をしました。木曜の昼にも関わらず40名もの方々が着てくださいました。最近では厨房に立つおかあさんが増え、今日なんか調理に関してはまかせっきりになりました。そのおかげでおいしく頂くことができて主催者としては一安心。今回の芋煮会の費用は、カンパ制のおちゃっこ基金から出ましたが食材を持ってきてくれる方々も増え、特に年配の方々にとっては近づきやすい場所となっているように感じました。

そしてなんと芋煮に使用したのは、佐賀県の伊万里牛(古竹牛)!伊万里の古竹家の牛肉は数年前に日本一になったこともあるような高級牛肉です。(そんな牛肉を芋煮に使うことが本当に正解だったのでしょうか?)その牛肉は古竹さんからの提供で私も含め超大満足な昼食となりました。

また、環境ネットの三浦さんが有機農法で作った新米をご馳走してくださったり、ドラム缶釜で焼き芋や焼きりんごをしておいしくいただきました。味覚の秋まだまだ続きそうなので夕食は控えめにしております。

明日はいったん山形県の小国に戻り、あさって独立学園の東北地方の同窓会に参加してきます。

2011年10月18日火曜日

NEWおちゃっこ!

 4か所目のおちゃっこのリフォームが今日から着工しました。場所は付き合いの長い湊町のアパート一階部分で、住民の方々からの依頼によってリフォーム着工が決定しました。僕の石巻での最後の重要タスクを任され、これまでの集大成といえる作品になるよう気合を入れて取り掛かっています。
何といっても言い出しっぺの西さんには、大変お世話になったので恩返しができたらと思っています。西さんとは僕のことを「うちの孫の外山君」と地域の方々に言ってまわって、僕の紹介をこと細かく全部してくれるおしゃべりおばちゃん。「遠慮はしちゃダメ」ルールがあって、他者に尽くしたいというポリシーのある方で、とことん僕は遠慮せず尽くされてきました。
窓側(南)から見たリフォーム前の様子。状態としては悪くないといった印象ですな~

小部屋がトイレで手前が流し
オープンが今月29日の予定なので限られた時間を有効に使って落ち着く空間を提供して去りたいものですね~。しかし残念なことにそこも数ヵ月後には取り壊されることが決まっているのですが・・・・

本日夕方に、北大生ボランティアの活動報告会in北大教室をスカイプで拝見させていただきました。久々の再会がとっても懐かしく、また嬉しかったです。報告形式は一班から順に活動報告とその時の課題や考えたこと、工夫したことなどを班の代表者が前で話していました。3か月が30分に詰まったような振り返りは忘れていた過去の課題が今に生かされているだろうか?と考える種となりました。みなさまお疲れ様です、本当にありがとうございました。