2011年12月19日月曜日

インディオと反原発の母



「人間が好き」著長倉洋海 福音館書店発行

‘‘わたしたちは、コンロもテレビも買いません。ものを残して死ねば、子どもたちのあいだで、けんかになってしまうから。”


‘‘森があれば生きていける。子供には森のほかには、財産は残しません。”

















岡田家の本棚にあった写真集に目を通した。


 17日の愛媛新聞の総合の欄に、「反原発闘争 母から娘へ」という題があり、記事を読んでみた。
マグロの一本釣りで名をはせる、本州最北の大間町にある建設途中の大間原発と、その中止を訴え続けた故熊谷あさ子さんの記事です。あさ子さんは原発建設予定地(130ヘクタール)内の畑(1ヘクタール)で野菜や花、イチゴを育て、海岸で海の幸をとって暮らしてきた。一方、大間原発の計画が動き出したのは30年以上も前で、1990年に用地買収が始まり、2000年ごろから準備工事は本格化、今はクレーンが林立するも震災以降、工事がストップしたまま。6千人余りの町民が原発建設の賛成派に変わっていくなか、あさ子さんは

「大間の海は宝の海よ。アワビにマグロにウニに昆布―。ちょうどいい量とってると、永久に食べていける。だから、そんな(大事な)ものを一時金に換えるなんて、ばかげた話。ご先祖様にも、子孫にも申し訳ない。」

と言いきって、破格の買収資金にたった一人応じなかった。
しかし、2006年5月建設予定地内の共有地をめぐる裁判のさなかあさ子さん(68)は急死し、その秋の裁判で敗訴が確定する。
だが、海を越えた函館近郊に住むあさ子さんの長女小笠原厚子さん(57)が母の遺志を継ぎ、昨年7月函館の市民グループとともに電源開発と国を相手取り原子炉設置許可取り消しや、建設工事差し止めを函館地裁に提訴した。
大震災以降町は静かで工事のつち音もやみ、約1700人の作業員も戻ってこない。


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