2011年11月30日水曜日

30日
 明日から12月だと言うのに、今日は21度まで上がり太陽の下半そで短パンで作業しても汗が出てきました。今日はよしさんがリハビリの為松山へ出て、僕は朝から小屋に設置する流し台を作る予定でしたが起きてみると10時でビックリ。ちょゅう食を食べ終日小屋の流し場作りをしました。

 最近島の゛あいさつ゛に注目しています。
歩行者たい自転車はもちろん、歩行車たい車でも一瞬のコンタクトがさりげなくでも確実に行われています。お年寄りになると挨拶から会話が始まります。僕は小中学生の頃あいさつをしようと言う教育を受けたが、この島の挨拶にはやらせさを感じず自然なところに感心しています。

2011年11月29日火曜日

29日
今日は半袖短パンで過ごせるくらいぬくい天気だった。(中島の人は熱い・暖かいことをぬくいと表現する。まだ蚊やハエが飛んでいて、毎晩眠りに入るのを邪魔されています。

午前中はみかんの出荷をし、午後から倉庫造りの続きをした。

夜食はイノシシの焼き肉。

夕食後に泉さん(80)夫妻が仁平くんに会いに来ました。
「赤ちゃんを見に来たぞー。わー 、赤いのー」と泉さん。

今も産声に似た声で泣いています。

2011年11月28日月曜日

チャリンコ

28日 生まれたての仁平くん初帰宅。
今日はよしさんの生姜畑を耕運機で耕しました。でこぼこな畝にハンドルを取られながらも何とか表土をかき混ぜることが出来ました。

その後、古いロードレーサー用の自転車のタイヤ交換や掃除をしました。これはよしさんが僕の移動手段として差し出してくれた大切な自転車です。運転免許を取るまでは自転車が必需品でしたが、今では近くに行くのにも車を使ってしまう悪い癖がつきました。これを機に自動から足動へと転換していかねば!

2011年11月27日日曜日

収穫感謝祭

東京から音楽と農業で島おこしを夢見るバンドの先発隊。9月には3反ばかりあるみかん畑を購入



生姜産業で島おこしを試みる泉さんを応援する島の方。
収穫後の感謝祭では泉さんが日頃の感謝をこめてと、大勢の方にご馳走を振舞ってくれました。

 27日
 泉さんの収穫感謝祭をしました。生姜掘り体験と食事会という流れでした。
さっそく感想ですが、個人の企画に対して大勢の方が来て驚きました。また、とってもおいしかった!

明日、あきさんと仁平君が帰ってきます!
中島のあらゆるところに通っているモノラック(人やみかんを運ぶエンジンモーター式運搬機)。写真ではわかりませんがやぶの傾斜は50度ほど。レールは一本4mで4万円だそうです。





やぶを抜けると山の上のみかん畑へと続きます。

泉精一さん

26日 壁紙を変えてみました。
今日の中島は快晴、夕方にかけて空気が冷えこみ夜には寒くなりました。
本日の活動はよしさんの農業の先生で、36年もの間中島で有機農業をしてきた泉精一さんの生姜の収穫作業を研修生1名、愛媛大学農学部3名と共に行いました。


泉さんの紹介 http://alter.gr.jp/Preview2.aspx?id=5308&cls=

(紹介文の中の「海外農業なども経験してきた優秀な研修生」とはよしさんのことか!?)

  一般的な生姜というのは毎年ごとに土壌消毒をしなければ連作障害を起こしやすいため、臭化メチルという強い薬を使っている。しかし、臭化メチルの使用を国が禁止することになり、農家は代用策を必要としている。

  そんな中、泉さんは3年前から不耕起の畑でライ麦を活用しながら「地力を活かし生姜の連作を可能に!」という志のもと生姜づくりを実験をしています。今日は1年目の畑で来年用の種生姜を収穫しました。
明日はこの畑で生姜の収穫祭を泉さん主催で予定しています。お客さんや関係者ら30名ほど集まる予定で、僕はそのスタッフに回ります。


愛媛大3回生の3名はこの土地を、1月当時荒れていたみかん畑を開墾し、畑に生姜を巻き毎週土日を利用して交替で松山から通い世話を続けてきたそうです。研究のテーマは「有機農業で経営は成り立つのか」です。

去年の今ごろはジャングルだった土地

若き開拓者と泉さん




山口県に落ちていく夕日


2011年11月25日金曜日

誕生

24日
みかん畑の草刈りや収穫、発送を終え、夕食後妊婦さんのあきさんが少しそわそわとしていた。僕に対しても「お米はここで・・・・」など一人の留守番時の説明をしてくれた。あきさんは10分ごとに耐えられるほどの陣痛を感じながらも、家を離れる準備をしていたのだ。ここ中島には病院がないので深夜0時、松山市から緊急の船を呼び、よしさんと栞那、半分寝ぼけた咲和を連れ、1時間以上かけて市内の助産院へと向かった。僕はひとり眠りながら留守番をし、みんなの帰りを待つことにした。



25日
今朝、8:30犬の鳴き声に目が覚めると、外にはばあばちゃんと愛犬のユウジロウ、それと小屋を建てに来てくれたよしさんのお友達のお二人が作業を始めていた。「ヤバい!もう始まっている」と分かり飛び起き、作業着に着替え遅刻参加。すると、ばあばちゃんが「明けがたに産まれたって」と教えてくれた。25日朝、約3200gの男の子が岡田家の長男として誕生しました。祝!パチパチパチパチッ

咲和が撮ってくれました。僕まるで・・・・・・・猿。
夕方、僕はひとり屋根貼りをしていると、あきさん以外の3人がほっとした顔をして帰ってきた。なんだかその姿はチームって感じだった。ほっとした3人は夕食後の夜7時には寝床に就いていた。
あとの2人の帰りは気長に待つことにしよう。

2011年11月23日水曜日

23日 勤労感謝の日 
今日の中島は雨、作業はボチボチ屋内でこれから建てる小屋に使用する柱のくぎ抜きをした。

夕食時の会話では名前について盛り上がった。もうすぐあきさんから生まれてくる男の子の名前や、もし女の子だったら何とつけるか、やっぱり名前で呼ばれるような呼びやすい名前、からかわれないような名前、漢字かひらがなかなどなど。そんな中よしさんは「仁平」からぶれることはなかった。

2011年11月22日火曜日

22日
今日はバアバちゃん(かんなのおばあちゃん)と10m位の畝に人参やライ麦の種を交互に蒔いていきました。今ごろ人参を蒔くと3月ごろには収穫できるとか・・・瀬戸内の気候恐るべし。
3時ころから生姜の収穫とみかんの収穫に取り掛かりました。日照時間はどこも変わらないと思いますが、朝が遅い分、日が落ちるのは夕方5時くらいなのでゆっくりと作業ができます。そのころやっと一本の木からみかんを一つ一つはさみで収穫し終え、コンテナにいっぱいになりました。お店に並ぶ段ボールのみかんも手作業で収穫されていたんだと実感しました。意識していなかった生産者の存在に気づくことができ感謝の気持ちが増しました。

2011年11月21日月曜日

草刈りをした後に収穫した、すっぱめなみかん。本格的な収穫は12月中旬からのひと月                      
   
今日の中島の天気は晴れで、お昼の気温は13度。フリースの上にヤッケを着てレモン畑の草刈りをしていると、汗でTシャツがびっしょりでした。
レモン畑やライム畑といった表現をしていますが、実際は一つの畑にあらゆる種類の柑橘類が植わっていて区別されておらづ、ただ「レモンが多めに生っていたな~」という印象から、僕が勝手に「レモン畑」と呼んでいるだけです。レモン畑には 下の写真の「チェドロ」という加工用レモンもあります。チェドロは国内ではほとんど作られていない品種で、この実は重みで枝が折れていたところを僕に救出されました。
今日届いたソファーに喜ぶ2人と冷静なチェドロ

 お昼どき、家の前の海(広島方面)を見ていると広島県呉(くれ)市の海上自衛隊の護衛艦が2艘交差するのが見えました。宮城県石巻市ぶりの再会は海担当の方でした。
 

2011年11月20日日曜日

イノシシ解体

  20日
今日は久々に晴れていたので、午前中はレモン畑の草刈をし、お昼に中島唯一の宿「宝山亭・ほうざんてい・」でのELT(小中学校に時々来る外国人英語教師)との交流会に参加した。よしさんは20歳前後にケニアやアメリカの州立大学に通っていたため英語がとても上手で、島の英語クラブから誘いがあり、僕も付いて行くことにした。久々の英語での自己紹介ですらグダグダな私は、何とか笑いでその場を凌ぐので精一杯。(こんな私も海外に憧れていて、その内カナダで自然環境を勉強したいと思ってはいるのですが・・・・・)
お昼からはライム畑の草刈をし、ひと段落着いたところで、僕が希望していたイノシシの解体を体験しに行くことになった。今日捕獲されたイノシシの頭と内臓が処理されている状態から皮をそぎ落としブロックごとに解体して、肉は山分け。夕食ではスペアリブの炭火焼をいただいた。味は獣臭さは全く無く上質な豚肉のようでした。よしさんいわく「いいもん(畑の作物)喰ってるけん、脂まで食べやすいやろ」と言っていました。山が荒れイノシシの住みかが増えた中島のような場所が、日本のどこへ行ってもあるのでしょうね。

2011年11月19日土曜日

雨の日の散歩

有機レモンを握りしめて

 今日は一日雨模様。午前中は宇和間地区の神社の新なめ祭に参加しました。山のふもとの不揃いの石段を40段ほど上がると、木々に囲まれて鳥井が立ちその奥に境内があり(ジブリの世界のような異空間)、中には参列者が15名ほどいました。雨にもかかわらず地域の方々はしっかりと伝統行事を守り、今年度の収穫に感謝していました。

  お昼に咲和と散歩をした。まづはみかん畑に行きました。
ポージング、ばっちり決まっています。イノシシ被害を防ぐための電線と黄色い注意看板。
 その次は生姜畑に行きました。そろそろ雨が小雨に・・・
 最後はあきさんと車に乗り、島で一番大きいスーパー「トミナガ」に行ってきました。もちろん利用者は島の人しかいないので、買い物途中の会話があちらこちらで見受けられました。

生姜の新発見!

 サンマと煮たり、豚肉と焼いたり、ジュースとしても重宝する生姜の姿を初めて目にしました。葉は笹のように見えるけれど、しっとりとしていて柔らかく、背丈は膝より少し高め。収穫はスコップで掘り起こし、ハサミで茎や根を切り落とし水洗い。形の良いものはそのまま出荷し、半端なものは輪切りにして乾燥機にかけチャック付きの袋に入れて「乾燥生姜」として商品になります。
生姜の根がしっかりと砂っぽい島の土をつかみ、その中にはミミズもいました。
コンテナの中には収穫した生姜がいっぱい
   一つの種ショウガから生姜家族ができていました。しかし、中には種ショウガの方が大きい生姜もあり採算が合わない・・・・ 

2011年11月18日金曜日

岡田家の食卓をより明るくしてくれる咲和(さわ)ちゃん4歳。
「みんなで食べるとおいしいね」と家族みんなで囲む夕食を人一倍喜んでくれます。

僕が中島に来るきっかけとなったのは、咲和ちゃんのお父さん(よしさん)が夏の農作業中に草を粉々にする機械に右手を巻き込まれ、怪我を負ってしまったからであった。僕との関係は高校の21年先輩ということだった。
夏にヒッチハイクで伊豆の平和集会に参加し、よしさんとはその集会でお会いするはずだったのだが、その前日に事故は起った。集会の役員を務めていた高校の恩師の今野先生が「岡田君が来れなくなってしまった」と慌て、「今後の彼の農業(みかんやレモンの有機農家)は大丈夫だろうか」と心配していた。そのことを受け「僕、行きます。」と決断したのが始まりだった。

実際によしさんとお会いしてみると、中指と薬指が第二関節までなく、人差し指が第一関節くらいから付いている状態でしたが、顔色は良く言葉も前向きだった。
昨日は事故以来放置状態になってしまったみかん山の草刈りをよしさんと2人ブッシュカッターで行った。怪我を感じさせないよしさんのブッシュカッターさばきに見とれながら、斜面にがっちりと育つ雑草君に四苦八苦。そこからの景色は眼下にみかんの木が急な斜面に広がり、薄青い瀬戸内海に浮かぶ島々を見下ろすことができる。その景色を見て11年前(独身時代)のよしさんは「ここで暮らしてみようかな~」と思い中島で新規就農!就農2年後に奥さんのあきさんと一緒になった。
現在の岡田家には8歳の栞那(かんな)ちゃんと咲和ちゃんと、あと1週間で生まれてくるあきさんのお腹の中の男の子がいます。皆さんお二人の体が守られますよう祈り、覚えていてください。
 二人が学校や幼稚園から帰ってくると、僕は二人に操られ遊んでいます。明日は土曜日、1日中一緒にいるとなると相当体力が必要なので、補充の為にそろそろ失礼いたします。

2011年11月16日水曜日

愛媛に到着

北海道帯広市の一般的な中学校の修学旅行先は函館で北海道内で、高校で京都・奈良へ行くのがスタンダードなのですが、僕の場合は山形から行く北海道18泊19日酪農実習付きというコースだったので、only北海道でした。その際、行き損ねた京都での2泊3日の観光では清水寺と銀閣寺への寺巡りや、京都造形芸術大学への大学見 学、中山間地で有機農業を営む谷口農場(娘さんが高校の後輩)への見学とミブナの袋詰めなどを体験しました。宿泊先は先輩の部屋や、同期のアパートに泊めてもらい毎晩一緒にご飯を食べに行ってました。

昨夜は車内の熱い夜行バスで京都を出発し、今朝松山に到着。早速道後温泉の足湯につかり体を休め、その後、実習先の岡田さんと合流し、お昼過ぎにフェリーで中島に到着いたしました。

石巻での生活は僕にとって初となる住宅地での暮らしで、街での遊び方が分からなかったのですが、今回は家の前が海、山に向かえば柑橘(かんきつ)畑。得意な田舎暮らしのスタート!みかんへのイノシシ被害が増えている、この島でこれからどんなことが始まるのだろうか!?
 

2011年11月12日土曜日

東京にて

 山形の田舎から打って変わって大都会東京に来ています。昨日は雨だった東京の天気も、今日は晴れ。晴れてくれてありがとう
 今日はお昼から関東地方の同窓生(独立学園)の集まりに行ってきます。90歳を過ぎた元音楽教師の華子先生にお会いするのが楽しみです。そのあとも同級生と会い、今晩京都へ向かいます。
 
 
 
 

2011年11月10日木曜日

 雨の日が多かった山形での一週間の仮暮らしも最終日は晴れてくれました。そ
ろそろ愛媛への荷物をまとめて送らなければなりません。川崎家での生活が在学
中のときよりも、だんだん実家暮らしの感覚になりつつあり、北海道に帰ってい
なくても腰を下ろす事が出来る場所です。
 昨晩、高校時代の恩師、今野夫妻のお宅へお邪魔しました。お二人とも76歳を
過ぎてもお元気で、変らず生徒の溜まり場となっていました。これから始まる愛
媛への話を持ち出したのは今野先生でした。だから、責任を感じていた。言われ
るがままに動いているような僕の人生が本当にこれでいいのかと・・・。「外山
君自身の道がある」「その時々の関心ごとに時間をつかい、結局何をしていきた
いのか?」と問うてくれました。
  
 「如何に生きるか」

 と問うていよう。
 
僕は今晩、新潟発の夜行バスで東京へ向かいます。

2011年11月9日水曜日

 先日のワールドカップに私も参加する事になり、半年振りにサッカーをすると
・・・・足が・・息が・・動かない。(ちなみに現役時代もたいした動きません
でした)これからは丘でのみかん狩りが始まるというのに、こんな体力では心配

もう4日たったというのに筋肉痛が消える事がありません。
 動かぬ身体を精一杯動かし、川崎米農家で冬支度の準備を進めています。小国
には3m程雪が降り、雪が降り始めてからでは身動きがとれず、重みで物もつぶれ
る厳しい冬がやってきます。秋のヘックサ虫(カメムシ)が多い年は雪も多いと
いう話があり、今年のヘックは村人が驚くほど多いそうです。

 昨晩、小国フォルケにて武夫妻と川崎夫妻、僕と同期で今年卒業し10月まで
長野県の野辺山で朝四時からのレタス収穫を繰り返す援農に出ていた杖君とで、
すき焼き慰労会をした。途中、酔ってきた米農家の吉巳さんはTPPについて語
り始めた。TPPは農業か経済かを二者択一するような単純なものではなく、医
療の利用者、農業の消費者、この国の労働者など、全ての人が影響し、しかしご
くごく一部の人しか富を得ず、そのものだけが生き残る事が出来る「自由」な政
策でした。
川崎吉巳氏の主張を参考までに
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd4/index.php?id=29

2011年11月6日日曜日

宮城から引き上げました

 少年はどこへ行ったのだろうと気にしていただきありがとうございます。
私、ただいま山形県小国町に帰ってきております。ここ川崎さんのお家で借り暮らしのアキエッティーとして多少のお手伝いをしながら、楽しく過ごしています。
 今日の小国はあいにくの雨模様です。母校ではワールドカップが開催される予定ですので、コンディションの悪い試合になるでしょう。それにしても「ワールド」の規模が小さくかわいらしいものです。
 
 僕が小国町にたどり着くまでの経過を報告しましょう。
10月末は連日、送別会を開いてくださり、おちゃっこお茶っこ大街道、お茶っこ湊、環境ネット、アプカス+酪農学園ボラ、それぞれが祝ってくれました。
11月に入り石巻から北上し母の実家にご挨拶をし、さらに北へ盛岡の兄のアパートにお泊り。そこでは東京から盛岡に復興関係で転勤になった叔父夫婦と会い、高校の同級生功ちゃんと遊ぶ。
 夜間、盛岡から秋田回りで山形へ向かう途中、石巻で知り合った若おかみの働く秋田県湯沢ロイヤルホテルに泊まり、4日お昼に山形に到着。

 こうして石巻での活動を引き上げたわけですが、宮城から愛媛に替え僕のブログは今後も続けますのでお付き合いよろしくお願いいたします。