2012年11月9日金曜日

日本満喫

 
29日 菅野家から
 時差の影響で4時には目がさえてしまった。
7時 朝食には川﨑家のつや姫をいただき、もちもち感をかみしめる。イタリアでもおいしいお米を食べていたけれど、川﨑家のお米は僕が春に田植えを手伝ったこともあり余計においしく感じた。
  
 
できたばかりの川﨑吉巳さんの名刺。
名刺デザイン・制作・田中藍
9時 康太君に成田空港駅へ送ってもらい特急成田エクスプレスで東京へ向かう。
 予定では新幹線で3つのケースを運び、14時に山形県長井市にある斎藤木工へ受け渡し、打ち合わせだった。しかし停車駅の少ないエクスプレスからの景色と、会話ができる自由さと、手荷物をすられにくいことへの安心感に加え、時差のせいで東京駅を寝過ごし、新宿まで行ってしまった。
上野へ戻り一時間遅れで山形新幹線つばさ自由席に乗りこんだ。フィウミチーノでの出来事に比べれば冷静に対処することができた。
斎藤木工への受け渡し
 19時 斎藤木工での3時間余りの打ち合わせを終えると、鉄彫刻家の那須悟さん(3人展の作家さんの一人)に迎えに来ていただき作谷沢のお宅へ。奥様の暢子さんの作る夕食を頂き、その後那須さんと僕はアトリエへ。那須さんは平日は石屋さんで働き夜帰ってから、制作活動に励んでいる。今回の企画は講堂建築との兼ね合いもあるため時期をずらせないから力仕事を終えた後、限られた夜の時間にまた力仕事に移らなくてはならない。僕もここで体験したけれど、熱していても鉄を曲げることは容易なことではなく、加工には時間がかかる。ましてや今回の手すりのように大きな作品になると魂を込めずには続かず、出来上がらない。
暢子さんと行った朝日町のりんご温泉。
 30日は半日仕事・半日休み、再び夜はトンテンカントンテンカン・・・・・
31日は坂田さん那須さん僕の3人でシベールアリーナ搬入作業。途中斎藤木工の職人さんがブロンズ取っ手のついた扉を届けてくれ、ご対面。 

 小さな国へ
 シベールへの搬入を終え1日のお昼は徳さん宅でお寿司をいただき、夜に小国の川﨑家に到着。川﨑家には8月に生まれたかりんちゃんも増えて、お兄ちゃんの柳君は前より会話ができ、子どもを中心に食卓を囲んでいた。吉巳さんからも歓迎の言葉をいただき、僕は再び川﨑家の居候者となったのである。
まさえおばあちゃんが炊いた赤飯。
その日は柳君の妹のかりんちゃんの誕生100日お食い初め。
つやつやのもち米
美しき川﨑家の朝食

ローマからの出国

 僕と23kgのケースを3つ積んだ加藤車はローマ・フィウミチーノ空港へ着いて、20時「山形の会場でまた」と言ってお別れした。各国の人々の表情に緊張感が漂う国際空港で、僕も最後のゲートの前まで来ていた。すると無意識に流れるアナウンスの言葉に ”#$%&’(()=~|{>TOYAMA AKIHIRO!”#$%&’()=~~~~|、と自分の名前が呼ばれた気がした。
ブロンズの入ったケースを重そうに運ぶ僕(やらせ)
 搭乗口の女性係員に尋ねると「あなたのバックがセキュリティーにかかった。そこで待っていて」と言われ、待っていると陽気な男性係員(40歳くらい)が来て、僕は空港の裏側(関係者以外立ち入り禁止区域)へ連れてかれた。「今、警察が来るから一緒待っていよう」と言われ、会話はサッカーの話に。ROMAファンだと主張する彼はRAZIOマフラーを巻く僕に「なぜローマじゃないんだ」と冗談交じりで尋ねてくるが、サッカーに詳しくない僕にはそんなのどうでもよく適当に答えるものの、本心はこのトラブルをどうくぐり抜けられるかを考えていた。
 朝美さんとの通信手段はない、搭乗時間は40分を切っている、ブロンズを運んでいるだけで悪いことをしているわけではない、怪しまれないようにするには・・・・。極地に立たされたような事態に、焦る自分と落ち着かせる自分。確認しますが語学はいつも、なんとなくわかっているつもり程度。
 
 警察2人に係員1人がそれぞれの車で着き、扉にSECURITYと書かれた部屋に連れられ計4人の立会いの下、X線に中身が写らなかったケースが1つあったことを説明され、開けるよう要求された。陽気だった彼の表情も一遍し仕事モードになっていて、警察は早くあけるよう求めていた。ビスでふたを閉じていたがドライバーを持っていなかったため、警察がふたをこじ開けた。僕は作家の作品だというと言うと説明が面倒になるため「I made it」と言った。
 すると「bello(美しい) bello!」と連発、その時だけ僕の作品になった彫刻をとても褒めてくれ、本当に気分が良かった。すぐさま荷物を元に戻し、それを僕の乗るエアチャイナの機体まで一緒に届け、22時僕を優先的に機内へ通してくれた。

 北京を経由して28日21時成田空港の税関を抜け、成田の菅野家に着きようよく安心することができた。

外山少年ローマから

  加藤 朝美 
 10月27日に外山くんがいよいよ出発。
70キロのブロンズを3つスーツケースに入れて先に日本に入ってくれます。成田から宅急便で送っては木工所の仕事に間に合わないから、29日にそのまま新幹線で山形の木工所に手渡しと説明代行。人生のうちで2度めの新幹線。
 でも、どうやって3つのスーツケース持って広い東京駅で乗り換えするんだァ?

 面白いと言っては失礼だけど、二十歳の外山くんが木工所のプロの人達に、取り付け位置や穴の位置、注意事項を説明してしまうんだから・・・・。そして12月には母校にこの外山指示のブロンズ取っ手の扉が設置される。

 1031日の搬入にも、展覧会で見せるメインのブロンズ取手が着いた玄関扉の搬入があり、
ここでも4人の作業員に位置と照明の場所等を指示する外山くんの姿が見もの。310cm,高さ250cm4枚の扉つきで展示し、更には20点前後の作品の設置も彼が進めるんだから。

心配?
全然ない。
だって彼がアトリエで制作準備して、ブロンズ屋でも設置位置を何度も確認しているから。メガネを探して2時間もウロウロしているぼくよりかなり判っている。アトリエでも休憩のコーヒーを飲みながら、何度も何度も打ち合わせもしたし、重用なのは「感覚、感性」。正確な位置なら図面や写真を見せればいいことだけど、回りがあっての配置だから、外山くんの感性に期待するしかないよね。


作家のぼくは遅れて112日に成田に着。実家所沢から5日に山形に入り、展覧会が始まっている会場のシベールには直行せず、歩いて15分隣の黒沢温泉に直行。
翌日6日、朝風呂を浴びてから夕方のオープニングに臨みます。

今年の3月は同じシベールの未来館で、「ボローニャの風景」の作品を設置した時は、夫婦ともに仕事に追われてボロボロ。やっと作品が仕上がっても、イタリア側で間に合わない書類や通関でクタクタになって帰国。更に成田のハードだった5時間の通関、500キロの作品を調べて課税して。
そこからすぐ新幹線で山形の設置へ。

 その滞在期間、この温泉と眼の前に広がる蔵王と日本的な朝食に救われました。気持ち的には昨日入ったばかりのローマの自宅風呂から、今日は黒沢温泉の湯の中へ、タイムスリップする「テルマエ・ロマエ」の阿部寛ように。日本の浴衣をローマ風(トーガ)に着て、日本食を不思議そうに食べる古代ローマ人に扮していました。

どうでしょう?黒沢温泉と目の前の蔵王の紅葉とシベールの展覧会は。運が良いと黒沢温泉からローマのカラカラ浴場へタイムスリップ出来るかも。(衣類は現地で調達してください)