2012年10月24日水曜日

LAZIO-MIRAN戦

先週、土曜の夜にLAZIO-MIRAN戦を観戦してきました!
まずはその試合のゴール映像です↓
http://www.youtube.com/watch?v=NPi2fQ944t0&feature=player_detailpage

チケット
夕方6時 加藤邸にて
 前日から楽しみにしていたサッカー観戦を直前に眠くなり横になっていたるとアルフレッド(ナンニさんの長男)とクリスティーナが車で迎えに来てくれた。僕はチケットとパスポートをもう一度確認。財布はスタジアムの混雑の中ですられることを心配し、置いていくことにした。

つれてってくれたAlfredとChristina
スタジアムまで1時間はかかるので、20時45分のキックオフに間に合うよう早めに出発したけれど、土曜の夕方はローマ市街に向かう車で込み合い(交通事故もあり)なかなか前に進まない。
 20時前にはスタジアム近くまでこれたものの、道路両端の駐車場が観戦客の車でいっぱい。ようやく見つけたスタジアムから少し離れた駐車場に駐車し、早歩きで向かう。途中パトカーが何台も取り囲んだミランサポーターバスとすれ違う。※サポータ同士の激しい喧嘩を防ぐため
 スタジアムに入口の厳重警備をパスし、待ちに待った場内へ。ライトアップされるコートが、小さくすら感じてしまうほど広いスタジアムと大衆が創り出すLAZIO応援歌の輪。
コートでは練習中

 地元LAZIOはローマがホームのため観客のほとんどはLAZIOを応援するためチームカラーの水色と白のグッツを身に着ける。MIRANサポーターはと言うと、端も端、一角に追いやられ缶詰に。
けんかを防ぐためにMIRANサポーターを隔離するスタッフ

 僕らはミランゴール側の指定席に着き、ビールで乾杯。
 前半は手前ゴールでLAZIOが2ゴールを決め、LAZIO優勢。僕は選手たちの動きが早すぎてパス回しのボールを目で追うのがやっと、ゴールは、っあ!!と言う間に決まるがモニターのリプレイがないためよく分からない。しかし、イタリア人は慣れたもの、その瞬間を見逃さず立ち上がり、両腕を挙げる者、隣にいる他人にでもキスを連発する者、鉄板の仮壁を蹴りまくり音を響かせる者など、この瞬間のために生きてきた!と言わんばかりの喜びを表す。
 


LAZIOサポーターは向かい側

ハーフタイムにコートのそばに行き記念撮影
 
後半はLAZIOが追加点を入れた後、MIRANの逆襲で手前のLAZIOゴールに2点を決める。すると追われるLAZIOサポーターがMIRAN選手の気に食わないプレイに対し、MIRANサポーターにブーイング。なんだかサポーター同士の戦いのようです。
 
後半ロスタイム4分の表示で、
LAZIO に逃げ切り、勝手終わってほしいと
そわそし立ち見をする観客
 
23時
試合はLAZIOが3-2で勝利し、大衆は満足げに急ぎ足で去っていく。夜中にも関わらず道路には歓喜のクラクションが響き渡った。

 
 
 僕の27日土曜夜の出発を前に、今晩はナンニ邸(水道屋)で夕食のお誘いがある。奥様のマリーサの手料理がいただける。




2012年10月20日土曜日

未知との遭遇


ローマ滞在も終盤、一つの疑問が浮かぶ。
タイトル「すべての未知はローマから」は、いったい何が未知なのか?元はすべての道はローマに通ずるをかけてローマより発信していこう、という経緯で名付けたのだが、食べブログなら知で、チャリ旅ならだけど、僕がイタリア・ローマで遭遇した未知とは何だろうか?


先々週一緒にローマを観光したタクミくん。
初海外イタリアをヴェネツィア→フィレンツェ→ローマ→ミラノ
→ヴェネツィアと大移動の一人旅。
丁度この日のバチカンは式が催されていて、
サン・ピエトロ大聖堂には入れず。
でもローマ法王お会いすることが出来た。

一人旅でちょっぴりさみしかったようで
カラカラ浴場で飛び跳ねるタクミ君左と
久々の再会を喜び飛んでいきそうな僕右
 









 














 

 そもそも僕が海外に出たのはこれが二度目。一度目は「高校最後の夏休みだぜ!!人生変わるような刺激が欲しい!!さあ、行こうベトナム20日間の旅!!」と(勝手に)題した、ベトナムを縦断する男友達の3人旅をでした。
 思い出とは不思議なもので、楽しかった事ばかり、でも、その時は初の海外を楽しむ余裕なんてなかった。ましてや、3人に共通する目的があったわけでもなく、僕は「少数民族の衣裳で日本に帰ってきたらカッコイイだろうな~」程度の思いつきで出発を決めた旅だから、いざホーチミンに着いたら「さてどうしようか?・・・・・・・・」あれがしたいこれがしたい訳でもないから、行き先は決まりにくく、ホテルはダブルの部屋をトリプルが借りるから2日に1度は二人で1つのベットで寝る。時に喧嘩をしながらも3人で町を転々としていく中で、ほぼ直角で木製の座席の電車に27時間揺られてみたり、ハロン湾に浮ぶ客船に泊まって夜の海に飛び込んでみたり、ある時はトラブルに巻き込まれ人力三輪車シクロに追いかけられ民家に逃げ込んだり、ビーチの水着姿の西洋人に興奮したりと確かに刺激的だった・・・・・・
夜のタクミ君は刺激的な覗きを?
いえいえ、鍵穴の向こうはライトアップされたサンピエトロ大聖堂です。
タクミ君はもう日本へ帰ってゴーバルの仕事に精を出しているはず。
 また違った一面ではベトナム戦争の跡地でクチの地下洞窟の一部を実際に歩いてみたり、幾つもの戦争博物館で平和学習を積極的に努めたものだった。展示物には戦時中の捕虜の様子や枯葉剤が引き起こした症状に今も苦しんでいる人間の写真、体がくっついた双子の胎児のホルマリン漬けを目にすると、息がつまり涙がこぼれた。
 初めての海外ベトナムを観光に慣れていない高3の僕は、初めてなりに楽しめたように思う。それに旅行後、一緒に行った友だちとの距離は喧嘩をした分だけ縮まり、明らかに関係性が変わった。

ベトナムでは100円ほどでフォーを食べられたけれど、
イタリアでは節約のためにスーパーで買って食べるのが僕の観光法。こんな感じ
 2度目の海外イタリアでは、写真やTVでしか見なかったものを観光したり、インターネットで日本と気軽に連絡が取れると、案外ローマは近く、この時代世界は狭いな~とついつい勘違いしてしまうけれど、地図帳を広げてみると自分が見て来たもの知っていることなど無に等しのだと痛感する。地図上の大きな大陸ともっと大きな海、もっと大きな太陽系、それより大きな銀河系には未知が詰まっている。どんな世界が広がっているのだろう?と考え出すとわずかな想像力でも、どこまでも僕がちっぽけで、気が楽になる。地図帳をながめて全てが未知と化した、アトリエでの一休みだった。

 土曜の今夜はセリエA(イタリアAリーグ)のラッツィオ対ACミラン戦のナイトゲームを観戦しに行きます。人生初のサッカー観戦がセリエAとは。

 

2012年10月18日木曜日

来年の展覧会へ 加藤朝美


  来月11月1日から始まる山形の展覧会は刻々と迫っていて、先日もボローニャのブロンズ屋さんへ仕上げに行ったりしているけど、一方では来年のドロミテの展覧会の方向を向いている。まだ一つ大事なことを書かないとドロミテの話が閉じられない。ぼくにとっても外山青年にとっても重要な決断がありました。
納屋正面
 今夏のドロミテ滞在は来年の展覧会への打ち合わせから幕が開け、国立公園の山の上の作品取材が続き、町長さんや国立公園事務所との話し合いで幕が閉じました。バカンスとやらを過ごせない体質なんですねぇ。
 その展覧会場とは、来年築101年にして9月に取り壊される町の真ん中に残る納屋を、壊される前の6月に準備期間と7、8月の展覧会期間に、そこを貸していただきます。
 地元の友達と展覧会の企画を、と簡単に考えていたら、話は膨らみ国立公園事務所のバックにある世界遺産のユネスコが入る可能性も出てきてしまった。「ありがとう、いい薬です」。来年の冬には答えをもらえるかな。
上の写真の左奥から撮影した納屋
 
  観光案内所を定年になった友だちエンマが、ぼくの話をつけた町役場や公園事務所とユネスコ関係を、もっと事務的にまとめたり、スポンサー探しを担当してくれ、もう一人の友だちマリアは観光シーズンで地元のボランティアが集めにくい時期だけど、2ヶ月間の画廊の見張り番集めとその手配をかって出てくれた。ぼくが水戸黄門ならこの二人が女版のスケさん、角さん役でこの二人がドロミテの展覧会のサポートしてくれることになる。
  更にその息子たちや甥が100年分の納屋のホコリと干し草を大掃除をしてくれ、電気の配線をギャラリー風にしてくれ、左官屋の甥が入り口の床のレリーフ制作を手伝ってくれる。更にその友達がグラッフィクデザイナーで、ぼくの作品と交換に案内状・ポスターを作ってくれる予定など・・・・・
照明の為の電気配線について打ち合わせ中

 今回の展覧会企画で特別なことは「『山の精』探し。
これは友だちの息子たちが描いた絵や、プラスティック粘土の不思議な形をした作品が、見る側のぼくたちにも楽しさを与えてくれる。鹿の角や伝統的なチロル風の家が多い中、この両親は家の壁という壁を子供たちの紙切れ、落書きまで作品として飾ってあり、一種の子供美術館風になっている。そこでぼくが提案したのが、ぼくの展覧会の期間中に、彼らが作る10から20の「山の精」を画廊のあらゆるところに隠す。そうすれば僕の作品に興味が無い子供にも山の精の写真と名前が載ったパンフレッドを片手に「山の精」探しに参加してもらえる。
自由な発想から「山の精」を生み出す作家たち
それは子供が触れない、届かない所でなければならない。持って帰ってしまうこともそうだけど、いちいち見張りの人に渡されても、対応が出来ない。納屋のどこを壊しても良い条件だから、床や壁の一部を剥がしてガラスの中に隠したり、天井からつるしたり。でも重用なのは展示会場では静かにしたり、作品には隠していないから触らないことを書いたり、ギャラリー内のマナーは親から注意してもらうことなど教育も兼ねている。その前にイタリア人の親の方のマナーを正すほうが必要な国だからねぇ。少し心配しているのが、大人まで作品を見ないで、山の精探しに夢中になってしまうことかな。
 
 滞在中、大忙しのぼくらだから恒例の親戚総出の草刈り・干し草集めに参加できない。お世話になっているし、昔の日本の田植えに似た賑やかさがある楽しい行事の一つだから、そこは外山くんに代わりに出てもらい、彼の活躍が光った。
 別れはいつも辛いもの。ぼくらが二週間ちょっと、外山くんと一週間。「また来年も来ておくれよ、もし私が居なくても・・・」とおばあさん。またか、と笑って返しても、95歳だと上手い返事が見つからないから困る。来年は花の多い6月から展覧会準備だから長い山小屋生活ができそう。

出発の朝の一枚。
別れの際に「また来てね」と手を握り声をかけてくれるオーマ
横で見ていた外山くんが、ぼくらの展覧会の企画に興味を持ってくれたのか、「来年も手伝いたい」と申し出てくれた。「ほんとぉ!!」短い期間で作品を準備するのに頭を悩ませていた所だったので、願ったり叶ったり。山の精探しなどの準備などは生き生きとやってくれそうな。目の前の山形の展覧会の影になっているけど、次のドロミテの展覧会は少しずつ動いています。

2012年10月14日日曜日

溶かして 磨いて くっつけて

 
 
 
 
 芸術雑誌の中の、ある画家の書いた文に興味を惹かれた。あら筋は、その人は物心ついた頃から絵を描くのが好きで、中学生になると技術を学ぶためサークルに入り、裸体のデッサンなどを何度も練習したりしていた。高校大学と専門的に美術を学び、作家の道に進むのだけれど、自由な絵を描こうとしても構図やバランスへの意識が邪魔をして、自由に描けないことに躓(つまづ)いた。つまり染み付いた技術がその作家を縛り付けたのだった。
 基礎を身につけることで、幅が狭くなることが有り得ると知った。逆に幅を利かすための学びとは?と考え始めると、ややこしくて単純な僕の回路が止まってしまった。
 
 11.12日にボローニャのブロンズ屋さんに3人で行って参りました。
 8月末に預けた蝋がようやくブロンズになったので、引き取りに行きました。僕は初のブロンズ屋さんに興味津々で、職人さんたちの邪魔になりながらも、その作業工程を観察したり、手伝わせてもらいました。             

サビアトリーチェに両腕を入れ、ガラスから覗き作業する。
細かい砂を吹きつけてブロンズに付いたセラミック(型に使用する素材)を取り除き、表面に細かな傷をつける。
きっと錆などもよーく取れることだろう・・・・・・・・・・・さびをとるーじぇ?


   ブロンズ(青銅)とは銅を主成分にスズと亜鉛を混ぜた合金の物だそうで、鉄より柔らかく叩くと変形し、磨くと光沢が出やすいことを発見しました。
 
溶接を行うロマーノさん。
今回の作品はドアの規格に合わせなければならないため、繊細な調整が必要とされる。
作家の細かな注文を聞き取る70歳のロマーノさん。

夜は4つ星ホテルに泊まりました。
こんなところに一人で泊まっていいのかしら?
 

先月、仕事中に指を落としてしまう大怪我をして休業中で朝美さんが信頼する、職人のセルジェさん(右)。。
たまたまショッピングセンターで朝美さんを見つけて声をかけてくれ、思いもよらぬ再会。
とても腕の良い職人さんということもあり、とても辛い。
  ボーローニャ観光よりもブロンズ屋で働けることの方が嬉しくて、作品の調節や磨きをしてるとあっという間に2日が過ぎました。朝美さんの彫刻はブロンズ屋さんの情熱と一度溶かした青銅への大胆さと繊細さの混ざった技術を経て、より美しく輝きを放った。

磨きにかけられた水芭蕉

2012年10月2日火曜日

食欲のアキ スポーツの朝

 
バンザイ!北海道日本ハムリーグ優勝!道民の誇りだー
2004年に北海道に移ってから4度目の優勝!今シーズンは一試合の中継も見ることがなかったけれど、中学生のころはシーズン後半は祈るようにしてファイターズを応援する、野球少年だった。
 中学野球部時代を振り返ると、精神力が弱く勝負どころでファーボール、スリーベースヒットで調子乗り飛び出しアウト!結果を出したいときに、出ないのが僕のスタイルだったが、今も変わらない。多くの負けを経験していく中で、勝つことへの執念が薄れ、スポーツは皆が楽しければいい!!と考えるしかなくなった。
 それからは、試合中の喧嘩腰の選手同士の気持ちをどう静めようか?なんてことに気を使い始め、プレーなんて二の次・・・・・気が付くと、声ばかり大きなプレイヤーになっていた。
 
 
 先週土曜日に朝美さんの35年間の親友クラウディオさん主催のサッカーパーティーに参加しました。アキ、久しぶりのサッカーに胸を膨らませ、夕食に提供するカレーを昼から仕込む。前日には気合を入れて散髪までする準備の良さは、中学時代の試合前夜の恒例坊主に似たものを感じる。
 
 試合前の集合写真
朝美さんから「おふざけサッカー」と聞いてはいるが、元セミプロを含むサッカー大好きおじさんの集まりだから、油断は出来ない。(サッカーが上手じゃない僕は、誰が相手でも油断できないのが本音)がんばって、1点は決めたいと意気込んでいたのだけれど


見方同士、緑のヴィブスを付ける朝美さんと僕
試合後、すべて出し切ったときの表情はこうなるんです!
カルチョット(8人制サッカー)とはいえ、2人とも前半が終了した時点で息が切れ、足がもつれ。数日前に一度しか練習しなかったことを2人して後悔した。「おふざけ」とは言えみんな本気で、上手!!あまりに活躍できない僕は、途中から居るのが申し訳なくなっていたほど
 イタリアーノのレベルの高さに唖然とするばかりで、試合の勝ち負けすら覚えていない。


 試合終了後にポカーンとする僕を癒してくれたのはキャスパー君。とお父さんのクラウディオさんがたわむれる姿。 
幸せってこゆーこっちゃな
その後、共同シャワーで汗を流し夕食パーティーへ
多くのご馳走が並ぶ中、提供したカレーも好評だったことがこの日の唯一の活躍。
ナイトキャスパー君、テープから流れるメロディーに体の動きをあわせて踊る。



クライマックスはMVP選挙の開票。

真剣に投票??
一人三名選んだ投票用紙を読み上げていく途中の一票で、「ASAMI!」と名前が出ると、「おかしいぞ!」「じぶんで書いたのか?」「金で買ったな~」と皆から恒例のブーイング(打ち合わせ済みの冗談。イタリア人は楽しいことに対して、よく頭が働く)。この日は、サッカーを通してイタリア人の一面を少しは垣間見ることが出来た気がした。

 

明日(10/3)は現在イタリアを一人旅中の同い年で、岐阜のハム工房ゴーバルで修行中のTAKUMI君とROMA観光してきます。朝合流して、夜のROMAまで満喫してきま~す!!