2012年10月18日木曜日

来年の展覧会へ 加藤朝美


  来月11月1日から始まる山形の展覧会は刻々と迫っていて、先日もボローニャのブロンズ屋さんへ仕上げに行ったりしているけど、一方では来年のドロミテの展覧会の方向を向いている。まだ一つ大事なことを書かないとドロミテの話が閉じられない。ぼくにとっても外山青年にとっても重要な決断がありました。
納屋正面
 今夏のドロミテ滞在は来年の展覧会への打ち合わせから幕が開け、国立公園の山の上の作品取材が続き、町長さんや国立公園事務所との話し合いで幕が閉じました。バカンスとやらを過ごせない体質なんですねぇ。
 その展覧会場とは、来年築101年にして9月に取り壊される町の真ん中に残る納屋を、壊される前の6月に準備期間と7、8月の展覧会期間に、そこを貸していただきます。
 地元の友達と展覧会の企画を、と簡単に考えていたら、話は膨らみ国立公園事務所のバックにある世界遺産のユネスコが入る可能性も出てきてしまった。「ありがとう、いい薬です」。来年の冬には答えをもらえるかな。
上の写真の左奥から撮影した納屋
 
  観光案内所を定年になった友だちエンマが、ぼくの話をつけた町役場や公園事務所とユネスコ関係を、もっと事務的にまとめたり、スポンサー探しを担当してくれ、もう一人の友だちマリアは観光シーズンで地元のボランティアが集めにくい時期だけど、2ヶ月間の画廊の見張り番集めとその手配をかって出てくれた。ぼくが水戸黄門ならこの二人が女版のスケさん、角さん役でこの二人がドロミテの展覧会のサポートしてくれることになる。
  更にその息子たちや甥が100年分の納屋のホコリと干し草を大掃除をしてくれ、電気の配線をギャラリー風にしてくれ、左官屋の甥が入り口の床のレリーフ制作を手伝ってくれる。更にその友達がグラッフィクデザイナーで、ぼくの作品と交換に案内状・ポスターを作ってくれる予定など・・・・・
照明の為の電気配線について打ち合わせ中

 今回の展覧会企画で特別なことは「『山の精』探し。
これは友だちの息子たちが描いた絵や、プラスティック粘土の不思議な形をした作品が、見る側のぼくたちにも楽しさを与えてくれる。鹿の角や伝統的なチロル風の家が多い中、この両親は家の壁という壁を子供たちの紙切れ、落書きまで作品として飾ってあり、一種の子供美術館風になっている。そこでぼくが提案したのが、ぼくの展覧会の期間中に、彼らが作る10から20の「山の精」を画廊のあらゆるところに隠す。そうすれば僕の作品に興味が無い子供にも山の精の写真と名前が載ったパンフレッドを片手に「山の精」探しに参加してもらえる。
自由な発想から「山の精」を生み出す作家たち
それは子供が触れない、届かない所でなければならない。持って帰ってしまうこともそうだけど、いちいち見張りの人に渡されても、対応が出来ない。納屋のどこを壊しても良い条件だから、床や壁の一部を剥がしてガラスの中に隠したり、天井からつるしたり。でも重用なのは展示会場では静かにしたり、作品には隠していないから触らないことを書いたり、ギャラリー内のマナーは親から注意してもらうことなど教育も兼ねている。その前にイタリア人の親の方のマナーを正すほうが必要な国だからねぇ。少し心配しているのが、大人まで作品を見ないで、山の精探しに夢中になってしまうことかな。
 
 滞在中、大忙しのぼくらだから恒例の親戚総出の草刈り・干し草集めに参加できない。お世話になっているし、昔の日本の田植えに似た賑やかさがある楽しい行事の一つだから、そこは外山くんに代わりに出てもらい、彼の活躍が光った。
 別れはいつも辛いもの。ぼくらが二週間ちょっと、外山くんと一週間。「また来年も来ておくれよ、もし私が居なくても・・・」とおばあさん。またか、と笑って返しても、95歳だと上手い返事が見つからないから困る。来年は花の多い6月から展覧会準備だから長い山小屋生活ができそう。

出発の朝の一枚。
別れの際に「また来てね」と手を握り声をかけてくれるオーマ
横で見ていた外山くんが、ぼくらの展覧会の企画に興味を持ってくれたのか、「来年も手伝いたい」と申し出てくれた。「ほんとぉ!!」短い期間で作品を準備するのに頭を悩ませていた所だったので、願ったり叶ったり。山の精探しなどの準備などは生き生きとやってくれそうな。目の前の山形の展覧会の影になっているけど、次のドロミテの展覧会は少しずつ動いています。

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