2012年10月20日土曜日

未知との遭遇


ローマ滞在も終盤、一つの疑問が浮かぶ。
タイトル「すべての未知はローマから」は、いったい何が未知なのか?元はすべての道はローマに通ずるをかけてローマより発信していこう、という経緯で名付けたのだが、食べブログなら知で、チャリ旅ならだけど、僕がイタリア・ローマで遭遇した未知とは何だろうか?


先々週一緒にローマを観光したタクミくん。
初海外イタリアをヴェネツィア→フィレンツェ→ローマ→ミラノ
→ヴェネツィアと大移動の一人旅。
丁度この日のバチカンは式が催されていて、
サン・ピエトロ大聖堂には入れず。
でもローマ法王お会いすることが出来た。

一人旅でちょっぴりさみしかったようで
カラカラ浴場で飛び跳ねるタクミ君左と
久々の再会を喜び飛んでいきそうな僕右
 









 














 

 そもそも僕が海外に出たのはこれが二度目。一度目は「高校最後の夏休みだぜ!!人生変わるような刺激が欲しい!!さあ、行こうベトナム20日間の旅!!」と(勝手に)題した、ベトナムを縦断する男友達の3人旅をでした。
 思い出とは不思議なもので、楽しかった事ばかり、でも、その時は初の海外を楽しむ余裕なんてなかった。ましてや、3人に共通する目的があったわけでもなく、僕は「少数民族の衣裳で日本に帰ってきたらカッコイイだろうな~」程度の思いつきで出発を決めた旅だから、いざホーチミンに着いたら「さてどうしようか?・・・・・・・・」あれがしたいこれがしたい訳でもないから、行き先は決まりにくく、ホテルはダブルの部屋をトリプルが借りるから2日に1度は二人で1つのベットで寝る。時に喧嘩をしながらも3人で町を転々としていく中で、ほぼ直角で木製の座席の電車に27時間揺られてみたり、ハロン湾に浮ぶ客船に泊まって夜の海に飛び込んでみたり、ある時はトラブルに巻き込まれ人力三輪車シクロに追いかけられ民家に逃げ込んだり、ビーチの水着姿の西洋人に興奮したりと確かに刺激的だった・・・・・・
夜のタクミ君は刺激的な覗きを?
いえいえ、鍵穴の向こうはライトアップされたサンピエトロ大聖堂です。
タクミ君はもう日本へ帰ってゴーバルの仕事に精を出しているはず。
 また違った一面ではベトナム戦争の跡地でクチの地下洞窟の一部を実際に歩いてみたり、幾つもの戦争博物館で平和学習を積極的に努めたものだった。展示物には戦時中の捕虜の様子や枯葉剤が引き起こした症状に今も苦しんでいる人間の写真、体がくっついた双子の胎児のホルマリン漬けを目にすると、息がつまり涙がこぼれた。
 初めての海外ベトナムを観光に慣れていない高3の僕は、初めてなりに楽しめたように思う。それに旅行後、一緒に行った友だちとの距離は喧嘩をした分だけ縮まり、明らかに関係性が変わった。

ベトナムでは100円ほどでフォーを食べられたけれど、
イタリアでは節約のためにスーパーで買って食べるのが僕の観光法。こんな感じ
 2度目の海外イタリアでは、写真やTVでしか見なかったものを観光したり、インターネットで日本と気軽に連絡が取れると、案外ローマは近く、この時代世界は狭いな~とついつい勘違いしてしまうけれど、地図帳を広げてみると自分が見て来たもの知っていることなど無に等しのだと痛感する。地図上の大きな大陸ともっと大きな海、もっと大きな太陽系、それより大きな銀河系には未知が詰まっている。どんな世界が広がっているのだろう?と考え出すとわずかな想像力でも、どこまでも僕がちっぽけで、気が楽になる。地図帳をながめて全てが未知と化した、アトリエでの一休みだった。

 土曜の今夜はセリエA(イタリアAリーグ)のラッツィオ対ACミラン戦のナイトゲームを観戦しに行きます。人生初のサッカー観戦がセリエAとは。

 

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