2011年5月31日火曜日
おはよう
今日は、炊き出し用のガスボンベの配送や市街地聞き込みなどが予定されています。
まずは東ティモールのコーヒーを飲んでと・・・・・
2011年5月30日月曜日
有坂さん投稿ありがとうございます
僕が石巻にきて知ったことは、「現場に居れば役に立つ」という考えは真実ではないということです。大切なことは自分の生きる地で、生きている時間のなかで自分にできることを続けることなのかなって思いました。ここに来たからって何か大きなことができるわけでもなくて、1人分にも満たない小さなことしかできないので、せめて今できていることを止めないで過ごしていきたいです。
いよいよ風が強くなってきました。今日は外仕事はできなさそうなので昼に全員で女川原発にタオルケットやサンダルを届けてきます。あ~、雷が鳴っています。
少年
2011年5月29日日曜日
しとしと雨模様
今日は冷えていたものの、徐々にneedsが夏向きになっているのでTシャツやサンダル、虫よけなどが倉庫に増えている。午後は酪農大生さんとAeonに衣類の買出しに行ったのですが、道路が渋滞していて今日が日曜だと気がついた。人が集まる店内は東京となんら変わらない空気が広がっていて「風土」とは何だろう?と思ってしまう。確かにあそこはマイノリティーの人々の生活を支えている・・・・。何かがくるってしまうその空間に私が参加していて、自分の決断で投資をする矛盾に頭を抱える今日このごろ。
ありがとう
ボランティアに来る人たちが次々に入れ替わる中で、
外山少年よく頑張ってたね!すばらしい!
酪農学園の学生さんたちも充実した顔をして
「また来ます!」って言ってたね。
日常生活に戻ると、再び石巻で活動することは難しいかもしれないけど、
最後に残していく言葉は本物だと思います。
外山少年との出会いに刺激されて、
帰ってからも自分なりにできることを探しているはず!
現場でしかできないこと、現場をサポートすることなどなど、
きっと各自の役割があるよね。
それから、何かを実行する時には、広い視野を持つ事が重要だと思います。
特に事務作業は大切。(つまんないけどね〜)
兄さんたちが寝る間を惜しんで仕事をしているようにね。
しばらくは蛇田での生活が続くと思いますが、
少年の存在が現場を明るく、和やかなものにしていると思いますので、
頑張ってくださいね。
私も北海道にいるからこそできる事を実践していきます。
ありがとうございました!
(有坂)
東京到着
昨年度スリランカで行っていた事業報告等を作るために・・・。
ハイエースで南三陸や牡鹿半島を走るのも難しいけど、首都高速を
走るのもそれに匹敵?それ以上?に難しいなと運転しながら改めて
思いました。
さてさて、少年よ頑張って蛇田事務所を切り盛りして下さい!!
(石川)
2011年5月28日土曜日
またね
石川さんは毎晩遅くまで(時に朝方まで)起きて仕事をしてたので、
東京の実家に帰ってゆっくりと心身を休めてほしいな~。
僕が石巻に来るそもそものきっかけは、石川さんが基督教独立学園の先輩だということ。だから予定では石川さんがいる期間と考えていたので、石川さんがいなくなっても残っているのはどこか不思議な感じです。いったい僕はいつまでここに居ることができるのだろうか?
そうしてまた酪農大5班が到着して新しい一週間が始まった。お昼前にあわてて出発した4班は今頃フェリーに揺られているころだろう。北海道でもお元気でね。
つながれただろうか?
初めて会う人のおぼんに梅干しを添えてあげることが僕の役割。
次々に流れる人に合わせて梅干しを添えるだけでも、ちょっとあわててしまう中で、
誰か一人でも“つながる”ことができただろうか?
そんなさみしさを感じている間に別れの時間が来てしまったから、
せめて握手でつながりたくなって、ぎゅって手を握った。
あっという間のひと時で誰か一人でもつながれたのだろうか・・・・
2011年5月27日金曜日
出動!!つながる炊き出し隊!!
みなさんの「はまセン」が記事に
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市最南端の本吉町浜地区で、連
日100人を超えるボランティアが活躍している。災害支援の専門家が 開設し
た ボランティアセンターがうまく機能しているためだ。他の被災地で大型連休
後の人手不足が指摘される中、今も全国からボランティアが駆け付けてい る。
センターがあるのは、約40人が身を寄せる浜区多目的集会所。震災直後から
支援活動をしている岐阜県のNPO法人「県災害ボランティアコーディ ネー
ター協議会」の川上哲也理事長(47)が4月20日に開設した。
ボランティアの宿泊や食事は自前で用意するのを原則とするセンターが多い
中、寝泊まり用のテントを貸し出したり、救援物資をやりくりして食事を 提供
したりする工夫をしていることが、多くの人を呼び込んでいる。
浜区では約90戸が全半壊したが、センター開設以降、毎日100人以上が
活動。大型連休は600人に達する日もあったという。今月19日は関東や 九
州から 訪れた約120人ががれき撤去や割れた瓦の片付けで汗を流した。急な
斜面に残るがれきを取り除いた横浜市の建築業坂井悟さん(37)は「足場の悪
い場所で 作業する普段の仕事が役に立った」と語った。
川上理事長は震災直後、南相馬市で支援活動を始め、行政の支援態勢が整うと
拠点を移してきた。浜区 は南三陸町との境界に近く、支援が届きにくい場所に
あるため、センターを設けたという。「交通の便は悪いが、活動しやすい環境が
整っているので何 度も訪ね てくるボランティアもいる。地区単位のセンターの
ため、住民のニーズにも細かく対応できている」と話している。
(河北新報電子版)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110526t13012.htm
自己完結しないボランティアだっていいじゃないかと思わされます(伊藤)
2011年5月25日水曜日
2011年5月24日火曜日
2班の本田さんがデビュー?
間報告会で石巻2班の発表者となった本田さんのインタビューが、北 海道限定で
すが、6時半からのニュースで放送されるとのことです。
ご覧になれる人は、ほぼいないと思いますが・・・共有まで
スリランカの元兵士、がれき撤去支援 石巻(毎日新聞)
訪れ、23日には全員でがれき撤去に取り組んだ。全員が元兵士で「危 険な作
業でも大丈夫」。来月2日まで活動する。
04年のスマトラ沖大地震による津波のため、同国では3万人以上が死亡し
た。この時、日本が復興を支援したことから「恩返し」の意味も込め、ス リラ
ンカ政府が派遣した。13日から活動している。
元兵士の現在の職業は多彩で、大工、技師のほか音楽家も。避難所では、ギ
ターを弾き、チーム全員でスリランカの歌を披露したこともある。「私た ちも
助けられたから」。笑顔が被災地に広がっている。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110524k0000m040112000c.html
ここまでは普通のニュース。ここからが少年の視点ニュースです。
スリランカ人達は石巻専修大のグランドに泊まっていて、そこで料理もしています。
食料の一部の牛乳がテントの外に置いてあったそうで、それに目をつけた野良猫に
見事に飲まれてしまったとか・・・。そのなくなってしまった牛乳を入手しにスーパーまで
車をだしたのがぼくでした!英語で見事に会話して無事に牛乳、パン、チョコレート、
大根を買ってきました。
在宅者の報告
多くの方がここを訪れましたが、今ここに残って活動しているのは
石川さん、カトシュン、酪農生徒4名、先生1人と僕の8名です。
GW時はスーパーハウスがぎゅうぎゅうだったのに今では、
あぐらをかいてもまだ広い、といった状況です。
最近では役割が少年からスタッフに変わり学生からは「外山さん」と呼ばれるようになり
ちょっぴりさみしいですが、与えられた立ち位置で今日も精いっぱい顔晴(ガンバ)ります。