24日
高知県に上陸して、まず最初の目的地は三原村の放し飼い地鶏「しゅりの里」でした。宿毛から3台の車に便乗しました。(最後に乗せてくれた農家喫茶クロウサギhttp://mori100s.exblog.jp/7671330/を営む、どぶろく名人東さんには、わざわざしゅりの里まで送ってもらいました)ここは茂さんから紹介を受けて訪ねることができました。
夕暮れ時、人里離れた山奥で3頭の犬が出迎えてくれました。
その晩はしゅりの里http://www.shurinosato.com/blog/index.htmlのオーナーである藤田さんと地域振興についてお話しました。鶏を飼いたくて10年前に就農し、今は「里を守るとは」と考えながら働く藤田さん。地元で雇用をつくり、商品を外からも購入してもらい、お金を地元で回すサイクルを目指していました。
25日
午前中、卵集めと出荷、餌やりの一部を体験し、お昼に藤田さんと足摺岬に行きました。
足摺で休日カフェ「たぬき」を営業していた佐鳥さんの一周忌のお祭りに藤田さんと参加した。佐鳥さんは藤田さんと茂さんの共通の友人で、建築デザイナーとして茂さんとコンビでいくつも建てたそうだ。晩はその2人が建てたお家にお世話になった。
26日
そのお祭りに来ていた清水大月で生パスタ屋さん「マンジャーテプレーゴ」
http://mangiate-prego.com/pasta.htmlを営む、中澤さんと知り合い泊めて頂いた。
その晩は中澤さんと「THRIVE」http://www.youtube.com/watch?v=UbIOCubN7SE というドキュメンタリ映画を鑑賞した。どこまでが真実かわかりませんが、全てが実際に起こっているとしたら……見る価値あります。
27日
四万十市の職業訓練校の木造建築科を見学して、4日ぶりの温泉につかり、夜はきれいな公衆トイレで寝た。久々に寂しい夜だった。
28日
朝、四万十市から「宇和島方面」とプラカードに書き、小雨の中ヒッチハイクをした。通りがかりの自転車おじさんに、冷たく「誰も乗せてくれん(からやめろ)」と言われたが、心の中で「いや、誰か乗せてくれるわい」と頑固に信じ根気強く待った。
すると、「途中までなら」といって声を掛けてくれたのは定年を迎えた男性だった。宿毛へ向かう途中喫茶店で朝食をごちそうになった。
車内では「若さと一億円のどちらかとれるなら、絶対若さを取る」「人生二度あったら大変だ。一度目に味を占めて、二度目は悪さばっかりするからな~。うまいこと出来てるよ」などと会話が盛り上がり宿毛に着くも、直進し「宇和島まで行ってやる」と言ってくれた。
「退職者の強みは24時間拘束されないこと」らしく50km先の宇和島へ向かってくれた。
高知の幕末の歴史を聞いている内に宇和島に到着するも、車は走り続け「よし!松山まで行こう!」 と言ってくれ、ガソリンスタンドで給油や点検を受け、100㎞先の松山市に向け高速自動車道にのった。
なんと、男性の車だけで松山まで来てしまったのだ。そして中島行のフェリーが出る三津浜港近くで15時の昼食つけ麺をごちそうになり、お別れをした。
こうして僕はまた岡田家にたどり着いた。
皆様ありがとうございます。
私の人生、世にどうお返しすればよいでしょうか?
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