2011年7月12日火曜日

師匠!俺、頑張ります!

工事中の情報ステーション。夕暮れの様子。
photo: Yuko Takasaki


話題のいしのまきTシャツを着て。


梅雨明けの石巻は連日快晴です。
月曜日の朝から東京の元気な74歳男性ボランティアも参加しています。
いまだ進行中の情報ステーションのために来てくださっていた川崎師匠は月曜日の夜まで作業をし、ばたばたと石巻を出発しました。いつも手を抜かず、妥協せず、丁寧にもくもくと作業を進めつつ、素人の僕にも気を使い指導してくれる姿に、僕の姿勢までも整えられた気がします。

物づくりは完成形が想像できてからが楽しいです。
休憩なんか気にしない、ご飯なんて気にしない、どんどん入り込んでいくと、大きな失敗やけがをする。
集中している時こそワンテンポ置いて行動しよう。



2011年7月11日月曜日

進行中

おはようございます。連日真夏日が続いている石巻ですが、皆さまも暑さにお気を付けください。 

土、日、月と山形から川崎師匠に来ていただき情報ステーションの内装工事が進められています。
また、北大ボランティアの女性2名や炊き出し隊の徳さん(山形在住の何でもおじさん)も含めての作業です。
師匠は黙々と床をはり、ど素人大工の僕は師匠の言葉にあたふたしながら汗を流しています。北大の2人は出来ることを見つけ丁寧にこなし、徳さんは素手で便器を磨く。そんな姿を見るたびに「ここを生かさなきゃいけない」と今後への期待と不安が増していく。

2011年7月8日金曜日

あくまで支援

今朝の石巻は涼しかったので石川スタイル(石川さんのフリースを無断で着ちゃいました)で牡鹿半島に出動しました。
目的は現状把握のためにカトシュンらに同行しました。

僕から伝えられることは、地方の避難所にも支援物資は行き届いているが、お弁当は傷む危険性があるため配給されておらず、おにぎり・パンが主食だということ。
食べたいものは市街地に週一回程度買いに行けること。
(デパートのシャトルバスも週2回走っているがいつもすかすからしい)
浜ごとに結束力があり(震災前から)我々がそのコミュニティーに入る隙間はない。
他団体も活動していてボランティアは常時いる。
仮設に移る人が増え、多くの避難所では世帯数がひとけたまで減っている。
一部の浜では、かきの養殖も始まりつつある。など


帰り道でたまたま見つけた製材所に寄り、情報ステーションの壁に使うための木材をおねだりしました。すると、お父さんは快く譲ってくれて話題は復興のことについて変わりました。

「支援してもらう一方だと人は堕落してゆく。
ボランティアはあくまでボランティア。
自分たちからやり始めないと。
これからはこの恩を返すために今日を精一杯働く。それしかできない」

と言っていました。

そう、僕らはあくまで支援。
再確認しよう
あくまで支援!

2011年7月7日木曜日

七夕やー!

カレンダーをみて7月7日七夕だと気がつく。
石巻市内からは七夕感を感じないが、ときどき焼き鳥のにおいがしたり夕やけがきれいだったり夏を感じることは増えてきた。振り返ってみるとここ2,3年祭りという祭りに参加していない(山ごもりしていたからだろう)。今年は石巻の川開き祭りには参加してみようと思う。

7と言えば、昨日同級生の7さんに甥っ子が生まれた。
7さんのお兄さんに第一子の男の子が無事に生まれた。
お腹の中で震災を経験したその子は、10ヶ月間大切にまもられ昨日呼吸を開始したのだ。
その寝顔を想像すると、やはり放射線が気になる。この時代の育児には気配りがこれまで以上に必要になる。親子ともに守られますように。

みんなに神さまが共にいますこと感謝します。

2011年7月6日水曜日

ここ2日の流れ

うえ:公立志津川病院の4階廊下(地上16メートル)
した:4階から背を海に向け(海岸から400m)西方向の様子
4日はPARCIC3人で南三陸訪問をしてきました。
はじめに、避難所の平成の森にティファールの鍋84セット(企業提供)を届け、隣の仮設を訪問しました。仮設ではお茶をしていたおじい、おばあに声をかけられ2時間ほどお話をしました。「こうしてお茶をするほかにやることが無い」と言うおばあも2月までは昆布を干すなど海で仕事をしていたらしい。畑はあるが畑に行く手段が無いとか・・・・

2か所目はトップぺージの皆藤愛さんと写真を撮った荒砥小学校に行ってきました。
疲れ切ったお母さんたちが今月25日完成予定の仮設住宅が待ち遠しいと言っていました。
4か月の集団避難生活は想像しがたいきつさがあるのでしょう。

移動中に上の写真の公立病院に寄りました。

最後に2週間前に佐藤隆太さんと餅をついた相川避難所に行ってきました。相川はほとんどが仮設に移り、8世帯のみ残っていました。その中のお母さんは「ここの生活をenjoyしすぎてさみしくなる」「これからの仮設生活は減る(お金)一方だから節約してかねーと」と言っていました。

ひさびさの再会などもありとっても嬉しかった半面仮設に入ると、もう会えないんじゃないかと寂しくもなりました。仮設支援(訪問だけでも)もしていきたいな~



今日5日は情報ステーションの周辺の配給所を訪れました。
そこで下の住宅の震災時の話を聞きました。
ここに暮らしていたお母さんは地震の後避難所に行ったものの物を取りに帰ると、直後に津波が来ました。そこでたんすの上に上がり天井を押し上げかわら屋根をかき分け屋根に脱出し、後日自衛隊に救助されたらしいです。屋根を突き破るほどの恐怖を皆3.11に味わったのです。


高校の大先輩ローマ在住の加藤朝美さんから復興チャリティーTシャツが届きました。
東北をコンセプトにした朝美さんのデザインは何とも言えなく可愛いのであります。
大家さんたちと記念にハイ、チーズ。

2011年7月4日月曜日

ありがとう酪農大学!

9週間にわたる酪農大ボラも2日の日をもって終了した。
アイドルワン子を囲んで9班との別れ
同世代との交流は単純に楽しかった。パルシックの活動はもちろん、東北の方も本当に助けれれたことだろう。みんな本当にありがとう。またいつでも石巻に来てね。

撤退といえば自衛隊の炊き出し部隊や物資部隊も石巻から6月をもって撤退した。お風呂部隊は今後も継続。手厚い自衛隊支援が空いた隙間を埋めてゆけるかは今後の課題ですね。




2~3日には千葉県より30歳男性がボランティアに来てくれました。
2日のお昼に到着して午後からは情報ステーション掃除。
18時の帰宅時に寄り道をして震災の被害を見学しに行きました。
日本製紙工場より南にて 
                                         
3日にはつながる炊き出し隊ヘルパーとして活躍してくれました。
場所は情報ステーションの周辺の住宅地にて、在宅避難者を対象にした初めて(その地域では)の炊き出しでした。メニューは鶏もものから揚げ、中華丼、ポテトサラダ、やまべ牛乳、リンゴジュースで、とってもよろこんで頂きました。

2011年7月2日土曜日

広報

 引き続き情報ステーションの内装工事に励んでいます。(写真がなくってすみません。これからは様子も報告していきたいと思います。反省)今日は酪農大5名+とやまで作業を行い、3時の休憩中に日方さんがソーダアイスを持ってきてくれました。
楽しく作業するためにCD(ブルーハーツのアルバム)をかけていたせいか「失敗したっていいじゃないの!」と自分の取り組んでいることに対していい意味で力が抜け、前向きな視点に切り替えることが出来ました。
情報ステーションは明日も40代男性ボランティアが2名参加して工事を継続いたします。

明日は最後の酪農大9班が北海道に向けお昼に出発します。それに伴い最後の晩餐は石守料理長が魂を込めて「鶏肉のトマト煮」を振舞ってくださり、お腹いっぱいに満たされています。料理長は夏休み中(8月下旬)も2週間ほど滞在を予定していますので、料理長のご飯が食べたい方、又食べさせたい方は是非こちらにいらしてください。

夏休み期間中に石巻でボランティアがしたい方の申し込みはパルシックHPにて