2012年8月13日月曜日

出発準備もあるけれど

8日朝、朝美さんの運転でしのぶさん、僕の3人でローマ市街地へ行ってきました。
 画像でしか見たことなかった世界へ GO!!
ミケランジェロのモーセ像  サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂
見学中にもミサが行われていました。
ミケランジェロってホントに生きてたんだ
朝、あっさりとはっきりと現れた、違和感のないパワー
世界遺産のコロッセオの前で朝美さんの説明を聞く。
歴史の長さに想像がつかな~い。というのが本音で、ローマ帝国の力と築いた人々恐るべし!!
 
コロッセオのあとにBAR(バール)で、イタリアのスタンダードな朝食クロワッサンとカプチーノをいただきました。その後サン・パオロ・フォーリ・レム-ラ教会にも行きました。

 ローマ観光ばっかり?
   いえ、アトリエで朝美さんの制作助手もしていますよ。
 

型から外した蝋(ロウ)が、これからボローニャのブロンズ屋さんで
ブロンズに変身します。
  13日から半月ほどお出かけしてきます。
先ずは10日間ほど一人でフィレンツェやピサ、ヴェネツィアなどを観光しつつ北上。その間イタリア北部のドロミテで取材を続ける朝美さん夫妻と合流します。その後ボローニャのブロンズ屋さんを経由して帰ってきます。
  では半月後にその間の報告を致します。
水道屋さんのナンニさん家で頂いた羊チーズ。
どんな出会いが待っているのか、美味しい物や美しいもの
寂しい時もあるだろな~

2012年8月7日火曜日

時差との戦い

8月3日
 羽田~北京~ローマ

朝9時、飛び立った飛行機が日本アルプス上空を抜け、日本海をまたぎ北京に降りた。2時間のあいだに乗り換えを済ませ離陸した飛行機は、ユーラシア大陸を西へと太陽を追って進む。
 日本と7時間時差のあるローマに着いたのは、まだ日が沈まぬ夕方7時。やっとローマが暗くなったのは9時頃だった。その頃日本は朝4時。

4日午前は庭師のフランコさんとヤシの木の片づけ


トムとジェリーでしか見たことなかった!!オランダ産のチーズまいう~
昼食は畑で収穫した三尺豆のパスタと、自家製天然酵母を使用した全粒粉パン
6日
 初日には感じなかった時差を体はだんだん感じてきたようで、ボーっとする。あともう少ししたら、慣れていくのでしょうか?イタリアタイム。
 少し前まで実家のお手伝いをしていたぼくが、急に海外に逃げた!と驚かれましたか?詳しい話は後回し・・・・・・・・
 僕がこれからローマで3か月間お世話になる、彫刻家の加藤朝美さん・しのぶさん夫妻とともにローマからブログをお更新していきます。期間限定のダジャレ好き朝美さんの投稿は必見です!!


2012年8月1日水曜日

紫陽花-アジサイ-

雨をもらった庭の紫陽花が、ここぞとばかりに輝きを放つ   

8月1日
今朝、乾燥した大地に三週間ぶりの雨が降った。連日、真夏日だったため芋の茎は倒れ、葉は深緑から黄緑色に変わり、いずれ黄色くなり枯れていく。雨が少ないために成長の進みが早く仕上がりの段階に入ってしまったのだ。

小麦の収穫が最盛期を迎えている。地域が共同で所有している小麦の乾燥工場とコンバインを、主に男性たちが交代制で昼夜動かし続ける。好天のかいあって受粉率もよく、実もふくれていて今年のできは良好。
コンバインの運転をしている長男のタカちゃんは雨のため一時待機で帰ってきた。

夜中に我が家の小麦を2台のコンバインが収穫中
タカちゃんの運転するコンバインに同乗
車体の割りに早く動き小回りもできる
コンバインが穂からモミをつけた粒の状態までして、ダンプで乾燥工場へ運搬する

帯広市内の私立あじさい保育園で夏祭りが28日土曜日18時から行われた。
開会の合図は、母がはじくドン豆の爆発音。
母が「耳を閉じてーいきまーす」 ッドン””!!
場内は特別沸くわけでもなく、一瞬の出来事に何が起きたの!?そんなリアクション。
北海道おびひろでの暮らしも50日ほど過ぎました。
畑と牧場を中心としながらも、6月下旬にはタカちゃんと道南の瀬棚に向け夜中に出発して、交代で運転し夜明け前に到着、次の日の夜明け前には出発するヤング旅を行ったり、7月中旬には新得共働学舎を訪問したり、地元の友達に久々に会ったりして過ごせた。体力があればもっともっと遊びもしたかったけど、まる一日太陽の下にいるだけで疲れ、22時には就寝し6時からまた新しい一日が始まるといった毎日だった。

母の起きてる間中動き続けられる体力には正直驚いた。暑い日ざしを受けながらも腰を曲げ草取りを続ける忍耐力とスピード、気づくと倍以上前に進んでいた。
家に帰ってからも家事をこなす母強し。
受粉して、これから大きくなーれ

3週間前に芽摘みをした南瓜-カボチャ-も拳二つ分ほどの大きさになっています。
今月2日に東京に行き、3日夜からイタリアでの暮らしが始まります。詳くはローマより報告

2012年7月7日土曜日

はぬけ


昨夜は小学生の頃、2年間入団していた児童劇団の先輩の誕生会に兄とともに参加した。

外山家の男四兄弟の末っ子の僕は、まず3人の兄が歌や踊りを練習する姿を見ていた。
当時小学校低学年の僕は前歯がなかなか生えてこず、あだ名は「はぬけ」。3年生と5年生の2年間を、市内まで30分の道を送り迎えしてもらい、冬の公演前は毎晩通ったのであった。
小3~中3までいる団員のなかで、ひときは歌も踊りもへたくそな僕には専属で、卒団生で高校生のなつみさんが付いてくれた。話は聞いているようで聞かず、ちょろちょろきょろきょろする僕の専属指導は相当な忍耐力がいる。しかってくれても反省しないとこは、今日まで引きずってしまった・・・・そのなつみさんの誕生会を前歯が生えた僕で祝えたことは、とってもうれしかった。

春に我が家に設置されたソーラー
地域全体でもこの型のソーラーがあちこちに
平野でやや晴れやすい十勝にはもってこい

光をさえぎっていた松をじいちゃんと伐採

倒れた白樺を母の花壇に利用


道路沿いの外山農場

今朝雨にぬれたポテチ用じゃが芋の花

今月4日から隣の加藤牧場に毎夕方の搾乳バイトへ

2012年6月27日水曜日

畑中心の暮らし



我が家の畑から望むポロシリ岳。
峰の残雪ももう、畑からは白い糸のよう。
菜種の花も終盤を迎え、花びらは落ち
養蜂園から働きに出されたミツバチも箱ごと帰っていった。
旅を終えて家に帰ったが、最近まで気持ちは落ち着かなかった。
旅中の家族では出なかった、何でも口にする遠慮ない僕に出会ったこと、
17日に外山家でイベントがありその準備と反省で慌てたこと、
少年と呼ばれた僕が20日で二十歳になったこと、
これからのこと、




良し悪しをその場限りで言い切り
いつも「結局~」とその場限りにまとめる。
その場限りの評価をする僕は
人の生き方に惑わされ、
人の生き方を比較するせいで、
人と自分の比較から、離れることができない。




5日前まで冬用のダウンを着ていた僕は
ここ3日間の快晴で日焼けをし、首がひりひり痛む。
豆畑の草取りに祖父、母、兄、僕、
家にいれば仕事がある。

一列340mある畝を、柄の長い穂がまを持ち、両脇2本づつ見ていく。
中学生の頃に感じた一列の遠さが、今の僕は、あの時ほど永くは感じない。

2012年6月9日土曜日

おぐにっ記


自転車は順調に進み、夕暮れ前には小国町叶水到着した。
雪国は5月を前にしても、まだ雪景色と汗が凍るような冷たい空気に包まれていた。

叶水大橋からの飯豊山とダム湖
 川崎家の田植えを手伝ってから出発する予定を立てていたが、今年は豪雪だったから田植えも遅れるとのことだった。
 「いつ帰るの?」と何人もの人に聞かれるが田植えがなかなか始まらず、出発の日にちが伸びていった・・・・・・  「田植えが終わったら帰る」は予定とはいわないのかもしれない
田に雪は深く、山にも緑はない
長い ふゆ
ひと足早く、ビニールハウス内に稲の苗が生きていた
ひとまず愛媛の岡田農園での仕事の報告とお礼をしに、支えてくださった今野先生ご夫妻にあいさつに行きました
日本友和会の皆様、ありがとうございました。
GWに突入して宮城へ
宮城川崎でお花見
 仙台で友達と合流し、レンタカーで被災地を3日間見学した。
  被災地に入ると辛く、帰りたいと感じた。僕が石巻を去って半年が立つというのに、現地の変化は大きくなかった。
  この先を見出すことがどれほど困難なことか、やはり行ってみないと分からない。



小国へ戻り田植えが始まるまでは、屋根に上りトタンはりの助手をしたり、テーブルづくりやお菓子作りをした。

力を入れたのは、川崎家に来ている藍ちゃんと叶水の洋介君との釜づくりでした。 
もともと釜があった跡地に竹で枠をつくり紙をはる。
枠の上から、イグルーのようにレンガを積みあげ、土で接着していこと4日
 
考えながら作っていくため、なかなかペースは上がらない
その上から泥を重ねる

田植えも始まり2週間ほど乾燥させ、釜入れ当日
気流も回り煙突から煙が立つ。アーチが崩れる心配もしたが、なんとかもっている

よし 順調 順調!

夜にはピザパーティーで盛り上がる


ピザの写真はないが、焼き立てピザを食べたときの原さん(僕の担任)の笑顔からもそのうまさが伝わってきますね

プレゼント用のアシタカ頭巾を作るも、自分がもののけ姫にはまり、アシタカになりきろうと努力した時もありました。
6月8日に田植えがほぼ終わりましたので、田植え作業で日に焼けた僕は今日(9日)出発します。
どこに出発?結局、自転車を置いて今夜、新潟から北海道へフェリーで帰ります。
自転車旅行は?いいんです、手段は変えても、家に帰る目的は一緒なので。
あす夜には帯広の実家へ                                     つづく

大工になろうと思っています

 更新を楽しみにしてくださり、ありがとうございました。

 
高校時代の先生。今でも日課のジョギングを続けていました。
 自転車旅行あのまま続けていたら・・・・・・・ 
       今頃どこにいたのでしょうか?
 
 4月末、新潟市に住む國分先生に1泊お世話になり、翌日隣町の斑鳩(いかるが)建築さんの建物を設計士の村尾先生にお願いし、見学させていただきました。
 

 

まず初めに向かったのは、斑鳩建築さんの代表的な建物
こまくさ保育園

玄関に入ったとたん木の香る、明かりるい空間が広がっていました。
 
中へ進むとホールがあり園児が遊んでいました。
4本の樹齢100年の根曲がりすぎが存在感を示しています。

その頭上には・・・・

伝統技法「四方転び」で4本の根曲がりすぎが、がっちりと組まれてありました。
設計士の村尾先生からは、斑鳩建築の大工の技と知恵にたいする信頼と誇りが伝わってきました。


その後、「越後に生きる家をつくる会」の会長も務める村尾先生のご自宅へ。
当会は県産材を使った家づくりを推進し、大工と設計者、製剤所、
林業家をつなぐネットワークをつくろうと発足しました。

「100年生きた木は100年生かす」

そうでなければ、
どこかで森が消えていく

まさかりで何千発も殴り、手斧で調整された梁。  素敵すぎる

なんということでしょ~。 
100年生かす構造はうつくしい


お昼過ぎにはてんぷらそばまでごちそうになりました。
村尾先生宅からの帰り道は、先生が近道を先導してくれました。

 
新潟から山形へ抜ける113号線の手前には、高校3年生の時に登った二王子岳を望むことができました。
先生ありがとうございました。

 気合を入れて始めた自転車旅行も、新潟を過ぎ山形県小国町まで到着すると40日ほど腰をおろすことになりました                                   
                                             つづく