2012年1月29日日曜日

SAGA佐賀

やっと更新することができました。

そうそう、振り返ってみると、24日は広島平和祈念館だ!世界の原爆・水爆の現状に衝撃!核抑止論の愚かさに愕然(がくぜん)としてしまいました。
その晩は田村家のパパ・ママ・マナ・マリの4人で過ごし、25日朝ヒッチハイク用の水性マジックをいただき、パパママがいつまでも手を振ってくれて僕は出発した。

25日
広島市内から「下関」を示したプラカードを出し、親指を立てつつ、とぼとぼ歩くこと3時間。やっと止まってくれた1台目の車はバイク屋さんのお父さんで30kmほど進んだ大竹まで送ってくれた。
車から降りて3分後には2台目のトラックに乗り、間もなく山口県に入り、錦帯橋のそばを通る国道2号線を西へ。玖珂(くが)のガソリンスタンドで降ろしてくれた。
その後も、スピードが速く、交通量の多い2号線沿いでヒッチハイクをし続ける少年に同情したトレーラーの運転手、土井さんが福岡県の小倉まで送ってくれた。夕食にはちゃんぽんまでごちそうしてくれた。その晩は雪が舞っていたため、一泊1,480円のネットカフェに泊まることにした。心配してくれた土井さんがそこまで見送ってくれた。ネットカフェだと言うのにブログを更新する気力もなく深夜0時眠りについた。

26日
朝8時小倉のネットカフェを出て、まずは歩き始めた。八幡製鉄所の八幡を過ぎて10kmほど進んだ黒崎で、プラカードに「福岡」と書いてヒッチハイクを始めた途端、真ちゃん今ちゃんが止まってくれた。2人は奈良から熊本めざし、下道だけで旅しようと試みる青年。道中3人で、太宰府天満宮を参拝し梅ケ枝餅(うめがえもち)と博多ラーメンを食べた。
鹿児島まで続く国道3号の標識が佐賀に入ったことを知らせてくれた。3号線から長崎方向に分かれる34号線が始まる鳥栖市で2人と別れた。
目的地は伊万里だったがプラカードはその先の「長崎」に書き換えた。すぐに止まってくれた運転手の石丸さん(32)はその日が誕生日だった。そして、本人も19歳のころにヒッチハイクで岡山の大学から佐賀の実家まで帰ったという。32歳の誕生日の日にヒッチハイカーを乗せる立場になれたことを喜んでくれた。臨床工学技士の石丸さんのブログでも、僕を紹介してくれています。
http://sagacet.blogspot.com/
佐賀市を過ぎた小城市のセブンイレブンで夕食のハヤシライスを買ってくれて、午後4時ころお別れした。

帰宅ラッシュの夕方にはなかなか車は止まってくれず大町温泉まで4時間ほど歩き、600円で1日の疲れをとり、ぽかぽかな体のまま寝袋に入り、公民館の軒下で野宿をした。

27日
寒さで3時には目が覚めたので、伊万里を目指して歩くことにした。
伊万里には、僕が高校3年の夏休みに友達3人で旅したベトナムで出会った、古竹明日香さんの実家があった。古竹家は黒毛和牛を飼育しており、過去には日本一にもなっている。以前、石巻のおちゃっこで振る舞った芋煮の牛肉を提供してくれたことでも、当ブログで報告している。
http://toyama-shonen.blogspot.com/2011/10/blog-post_20.html

午前10時、古竹さんと合流し古竹家での生活が始まった。

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